2015.05.05 03:23|思索
シルバーバーチは,人の役に立つことの重要性をしつこいぐらい繰り返し述べています。

「地上で学ぶべきことは人の役に立つということ,これに尽きます。」(『シルバー・バーチの霊訓(二)』(潮文社)(以下,単純に1巻,2巻などといいます。)92頁)

   

「私にとって宗教はたった一つしかありません-人のために自分を役立てるということです。」(3巻122頁)



「地上生活の総決算をする時がきたとき,つまり地上に別れを告げて霊の世界へと移られると,誰がするというものでもなく,自家作用によって,自分で自分を裁くことになります。そのときの判決の基準は地上で何を考えたかでもなく,何を信じたかでもありません。世の中のためにどれだけ自分を役立てたかということです。」(7巻87頁)



「私は,“十戒”ならぬ“一戒”しか持ち合わせておりません。“お互いがお互いのために尽くしあうべし”-これだけです。」(『シルバーバーチのスピリチュアル・メッセージ』(ハート出版)(以下,単に「メッセージ」といいます。)155頁)



「人のために役立つことをする-これが他のすべてのことに優先しなくてはなりません。」(『シルバーバーチ最後の啓示』(ハート出版)47頁)



人の役に立つということは,本当に単純な真理ですよね(^ ^)

人の役に立つことの重要性が理解できたら,それ以上複雑に考える必要はなく,あとはとにかく人の役に立つために,ひたすら実践すればいいんじゃないかなと思います。

シルバーバーチの霊訓の内容にいくら精通しても,いくら理解を深めたとしても,日常生活において人の役に立とうとしていなければ,つまり実践を伴っていなければ,何の意味もないと思います。

「私が説く宗教は実践の宗教です。1日1日の宗教-1日24時間,1時間60分,1分間60秒,そのすべてを実践の時とする宗教です。それが私の評価の基準です。」(3巻83頁,12巻219頁)



「日常生活において霊的真理の意義を生かした生き方をしていなければ,自分たちを『スピリチュアリスト』と呼んでみても何の意味もありません。大切なのは,自分たちはこういう者ですと名のることではなく,実生活において何をしているかです。」(『シルバーバーチのスピリチュアルな生き方Q&A』(ハート出版)(以下,単に「Q&A」といいます。)25頁)



「私は,魂をより意義のある生活へ誘ってくれるものでないかぎり,教義とか信条,ドグマといったものには関心がありません。日常の行い以外のものには関心を向けません。根本的に重要なのは,日常生活の生き方だからです。」(メッセージ94頁)



コナン・ドイルも,霊的真理を深追いするのではなく,実践が重要だみたいなことを言っています。

「死後の生活については以上の概略に止めておくのが無難であろう。細かいことになるとキリがない。いずれにせよ,われわれも遠からずそこへ行くのである。今すぐその全てを知ろうとするのは無駄な好奇心というべきである。」(『コナン・ドイルの心霊学』(潮文社)104頁)



「その体験によって見えざる世界の実在とこの世との連続性を確信したなら,それは心霊実験がもたらす唯一の,そして最大の恩恵にあずかったのであるから,その後は霊界からの啓示がもたらす教訓を現実の生活に生かすことに徹し,いつまでも心霊実験に関わり合っていてはいけない。」(同書190頁)



さらに,シルバーバーチは,霊的知識について,以下のように言っています。

「死後存続の事実は,知らないよりは知っていたほうがいいでしょう。が,最後の試金石は,どのような日常生活を送ったかということです。」(Q&A151頁)



「要はその人が生きてきた人生の中身,つまりどれだけ人のために尽くしたか,内部の神性をどれだけ発揮したかにかかっています。大切なのはそれだけです。知識は無いよりは有った方がましです。がその人の真の価値は毎日をどう生きてきたかに尽きます。」(4巻140頁)



シルバーバーチによれば,上記のように,死後存続という基本的真理についてすら,「知らないよりは知っていたほうがいい」というレベルですし,「知識は無いよりは有った方がまし」くらいの感じらしいです。

死後存続という基本的真理を知らなくても,人の役に立つために最善を尽くしていれば,それでいいということなのだと思います。

だとすれば,シルバーバーチの霊訓を一通り読んで,その内容に得心したのなら,ただ愚直に人の役に立つために邁進すればいいんじゃないかと思います。

このブログを始めた当初は,スピリチュアリズム関係の本をすべて読み込んで,ブログでどんどん紹介していこうかとか思っていました。

しかし,そういう本を読み込んでいる時間があるなら,その時間を人の役に立つための活動にあてた方が賢明な気がしてきました。

以前は,自分が霊的真理を今後普及していくうえでも,まずは自分自身がスピリチュアリズム関係の本を読み込んで,きちんと霊訓の内容を理解していなければならないと思っていました。

しかし,霊的真理を普及するうえでも,霊訓の内容を完璧に理解することに努めるより,まずは自分自身が身をもって,人の役に立つことを実践している必要があると思います。

「その真理を語るわれわれが成るほど神の使徒であることを証明するには,ひたすらに人の役に立つことをするしかありません。」(3巻38頁)



私は,シルバーバーチの霊訓の内容を全て理解しているわけではないし,その内容すべてに納得したわけでもありません。

しかし,少なくとも,死後にも魂は存続すること,現世では魂の向上のために人の役に立つことに最善を尽くすこと,という単純な真理については,得心しています。

だとすれば,シルバーバーチの霊訓のこの部分はどうやって解釈すればいいのかとか,この部分とこの部分は矛盾していないかとか,この部分はシルバーバーチの言っていることはおかしいから,シルバーバーチの言っていること全体も信用できないとか,そういうことをあれこれと考えること自体,あまり意味はないのではないかと思えてきます。

上記の単純な真理は,シルバーバーチだけが言っていることではなく,他の霊界通信などでも共通して言われていることですし,遠い昔から言われていた真理ではないかと思います。

「自分を愛する如く隣人を愛せよ。苦しむ者に手を差しのべよ。人生に疲れた人,潤いを求める者に真理を語って聞かせよ。病いの人を癒し,悲しみの人を慰め,不幸な人を訪ねてあげよ。こうした訓えは遠い昔から説かれてきた真実です。」(3巻66頁,メッセージ132頁)



ですので,シルバーバーチの霊訓の信用性とかを議論する意味はあまりなくて,上記の単純な真理を受け入れたのなら,既に実践の段階にきていて,あとはひたすら人の役に立つために最善を尽くせばいいのではと思います。

「自分に正直になり,最善を尽くす-それだけでいいのです。」(7巻90頁)



「力強く前進なさい。最善を尽くすことです。それ以上のものは人間に求められていません。」(11巻102頁)



長くなりましたが,人の役に立つことに最善を尽くすというシンプルな教えを日々実践していきたいと思っています(^ ^)


2015.04.19 01:15|思索

(「地上の人間にとって完璧な生活を送ることは可能でしょうか」との質問に対して)「それは不可能なことです。が,そう努力することはできます。努力することそのことが性格の形成に役立つのです。」(『シルバーバーチの霊訓(5)』(潮文社)191頁)。
「完全であるように努力しなさいと言っているのです。それが地上生活で目指すべき最高の理想なのです。」(同頁)
「私たちも,どうせ今すぐには実現できないと知りつつ,理想を説いております。もしも私たちが努力目標としての理想を説かずにいたら,与えられた使命を全うしていないことになります。目標の水準は高めないといけません。低くしてはいけないのです。」(『シルバーバーチの霊訓 スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』(スピリチュアリズム普及会)132頁)



このように,シルバーバーチの霊訓には,「努力目標としての理想」を説くという性格があるため,シルバーバーチが言っていることは非現実的,きれいごとを並べているにすぎない,というように思われる方もいらっしゃると思います。

それは,上記のとおり,シルバーバーチが,「今すぐには実現できないと知りつつ,理想を説いております。」と述べているとおり,シルバーバーチ自身,非現実的であることを認めていることからしても,そのように思われるのは当然だと思います。

しかし,シルバーバーチは,霊訓の内容を完璧に実践しなさいと言っているわけではなく,完全に向けて努力しなさいと言っているだけですから,霊訓の内容が非現実的,実現不可能だからといって,信憑性がないと言い切ることはできないんじゃないかなと思っています。

私も結構そうなのですが,シルバーバーチの霊訓を読んでいると,霊訓の内容が全然実践できていないことに気づき,「自分はスピリチュアリストと自覚しているのに,シルバーバーチが言っていることを全然実践できていなくて,ダメダメだ・・・」と自己否定をしがちだと思います。

特に完璧主義な場合,シルバーバーチの霊訓の内容を直ちに完全に実践しないといけないという強迫観念にかられてしまい,そうなると精神的に追い詰められそうです。

ですので,シルバーバーチの言っていることは,「努力目標としての理想」であるということをきちんと理解する必要があるのではないかなと思います。

つまり,シルバーバーチの霊訓で言われている内容を完全に実践できなかったとしても,それほど気にする必要はないと思います。

ただ,難しいのは,「理想を言っているだけなら,別に実践できてなくてもしょうがないじゃん。」ということで,努力を怠ってしまいがちになるということです。

そのため,理想だと分かりつつ,理想に一歩でも近づく最大限の努力をしないといけないということだと思います。

たとえば,シルバーバーチは,「地上生活に何一つ恐いものはありません。」と述べています(『シルバー・バーチの霊訓(一)』(潮文社)73頁)。

しかし,何一つ恐いものはないという心境に立ち至るのは,人間である以上,不可能であって,これも理想にすぎないと思います。

地上生活で何も恐怖心を抱かないほど霊的に成長しているなら,そもそも地球で魂の向上を図る段階を超えていて,わざわざ地球に来る必要はないといえそうです。

したがって,人間である以上は,恐怖心は絶対にあると思います。

それを理解したうえで,奮闘努力によって,少しでも減らしていき,何一つ恐いものはないという境地に一歩でも近づくことが,人間に求められていることじゃないかなと思います。

たとえば,死への恐怖についても,完全にぬぐい去ることはできません。

しかし,霊的知識を身につけ,理解を深めていくことによって,死への恐怖心を少なくしていくことは可能だと思います。

同じく,日常生活,仕事などにおける恐怖心,不安についても,自分の最大限の努力によって,少なくしていくことは可能だと思います。

現世では実現不可能な理想と分かりつつも,それを目指して最大限の努力をするというのは,なかなか困難ですが,それが霊性進化の道なのではないかなと思っています。


2015.03.15 01:31|思索
前回の記事で動機の重要性について書きましたが,人を裁く刑事裁判においても,動機は重視されるべきですよね。

同じ罪を犯した場合でも,その動機しだいでは,霊界での評価は全く変わってくると思います。

その点,実際の刑事裁判はどうかというと,動機が重視されるようなケースは確かにありますが,動機によって,刑の重さが大きく変わってくるということは,それほど多くないという印象です。

たとえば,コンビニに強盗に入り,店員に怪我を負わせたという強盗致傷事件を例にすると,被害金額がどれくらいか,被害者に対してどういう暴力や脅迫をしたのか,被害者の人数は何人か,被害者の怪我の程度はどれくらいか,被害者との間で示談が成立しているか,被告人に前科があるか,といった客観的な要素によって,刑の重さは大体決まってきます。

被告人の動機について言及する裁判例も,もちろんありますが,多くは,「自分勝手」「短絡的である」と簡単に切り捨てられていて,裁判官も動機についてあまり深くは検討していないことが窺われます。

私が担当した刑事事件でも,被告人にはこのような同情すべき動機があると私の方で色々と主張したのに,「短絡的犯行であり,酌むべき点はない。」とばっさりと動機の点を切り捨てられてしまったものがありました(>_<)

被告人が生活に困ってやむなく強盗に及んだというケースなどでは,被告人に結構有利になるのではとも思えますが,実際にはそれほど有利にはなりません。

たとえば,コンビニ強盗事件で,被告人の動機について言及する裁判例として,以下のものがあります。

「本件犯行の動機は,被告人が本件犯行の3日前から何も食べておらず,空腹に耐えきれなくなり,コンビニで現金や食べ物を奪おうとしたものであるが,被告人のこのような状況は・・・(省略)・・・自ら招いたものといわざるを得ないし,このような状況になっても,知人等に援助を申し込むなど他の手段は考えられるのに,それをせずに本件犯行に及んだことは,同情することはできず,この点は検察官の主張するとおり,被告人の刑を重くする事情である。」(仙台地裁平成22年6月4日)



この判例では,動機について被告人の刑を重くする事情であるとしていますが,被告人が被害者に対して何度も包丁を突きつけた点などの行為の危険性を重視すべきであると述べられているので,動機は,一つの判断要素くらいの位置付けしかなかったと思います。

このように,刑事裁判においては,動機よりも,結果の重大性,行為の悪質性が重視されている気がします。

動機を重視するシルバーバーチ的観点からすれば,この判断枠組みはどうなんだとも思えますが,これは仕方のないところではあると思います。

というのも,被告人の動機のような主観的な部分については,本当のところはよく分からないという事案も少なくないからです。

客観的な証拠から,被告人の動機はこのあたりにあったのではと推測することはできますが,真の動機を確実に証明する手段は現世では存在しないと思います。

そうなると,動機だけを重視して,被告人の刑の重さを判断するということは,かなり危険というか,不確実な根拠に基づいた判断になりかねないと思います。

また,結果とか犯罪行為自体は同じような事件なのに,動機の違いだけで,刑の重さが全く違ってくるということになると,どうしても不公平感を拭えなくなり(霊界からみたら不公平でも何でもないですが),被告人も納得しないし,国民の理解も得られない気がします。

なので,現世の刑事裁判制度としては,現状のような判断の仕方でしょうがないのかなと思っています。

ただ,何で罪を犯したのかというのを深く考えることは,被告人の更生にとってすごく重要なことなので,被告人と何度も面会するなかで,「何でこんなことしたんですか??」ということは,視点を変えて繰り返し聞くようにしています。

最初は,被告人も心を閉ざしている場合が多いので,「別に深く考えてやったわけじゃないし・・・。」などと言って,あまり語ろうとしません。

けれど,足繁く被告人に会いに行って,被告人との信頼関係が出来てくると,「実は・・・」といった感じで,犯罪に及んだ経緯を詳しく話してくれるようになることが多いです。

私としては,裁判で重視されるかどうかとは関係なく,被告人の真の動機に迫っていって,そこから被告人の更生の糸口を見つけ出し,1人でも多くの被告人に更生してもらいたいと願っています(^ ^)


2015.03.07 00:44|思索
シルバーバーチは,動機の重要性を繰り返し述べています。

「求めるものが正しいか間違っているかは,単なる人間的用語の問題にすぎません。私たちからみて大切なのは“動機”です。いかなる要求をするにせよ,いかなる祈りをするにせよ,私たちが第一に考慮するのはその動機なのです。動機さえ真摯であれば,つまりその要求が人のために役立つことであり,理想に燃え,自分への利益を忘れた無視の行為であれば,けっして無視されることはありません。」(『シルバー・バーチの霊訓(六)』P55(潮文社))



人の役に立ちたいという真摯な動機のもと,自分なりの努力をしていれば,仮にそれがよい結果に終わらなかったとしても,その行為は評価されると思います。

ただ,動機さえ正しければ,結果がどうなってもいい,ということでもないと思います。

それは,結果に無関心であれば,その動機自体が真摯なものかどうか,疑わしくなる気がするからです。

たとえば,極端な例ですが,自分は人の役に立ちたいとは思ってるけれど,結果がどうなっても関係ない,つまり,実際にその人の役に立てたかとか,その人を救えたかとかはどうでもいい,と考えていたら,それは真摯な動機とはいえないと思うのです。

人の役に立ちたいという動機の中には,結果としてその人を助けたい,救いたいという気持ちがあるはずで,そういう結果を求める部分がなければ,人の役に立ちたいという熱意や情熱があるのか疑わしくなる気がします。

なので,結果を求めることは,動機の一部を形成しているというか,結果を求めることと動機とは不可分の関係にあると思います。

シルバーバーチが言っているのも,結果を求めた末に,結果が出なかった場合,たとえば,その人が抱えている困難や苦難を実際解決することが出来なかったとしても,そこを思い悩む必要はないという趣旨だと思います。

ただ,そう考えると,結果を求める過程で,「結果が出なくても,まあ仕方ない。」という気持ちが出てしまう気がします。

結果が出ても出なくても,結局,動機さえ真摯なものであれば,評価としては変わらないということであれば,結果へのこだわりは薄れると思うのです。

結果へのこだわりが薄れれば,結果を求める情熱や理想もしぼんでいく気がします。

自分は人の役に立ちたいと思って,頑張ってるんだから,結果がでなくても,つまり,実際上その人が救われなくても,まあしょうがないよね,と考えてしまうと,人の役に立つためにベストを尽くせなくなってしまうと思います。

シルバーバーチがいうように,大切なのは動機だと思いますし,霊界における評価も動機に尽きると思いますが,それはあくまで事後的に評価する観点から見たものだと思います。

現世を生きていくうえでの心構えとしては,結果を求める情熱や理想,結果へのこだわりがあっていい気がします。

というか,もしかしたら,シルバーバーチが言っている「真摯な動機」には,そういった結果を求める情熱も含まれているということですかね。

だとすると,結果を求める情熱や理想をどれだけ持っているかというのも,「真摯な動機」といえるかどうかの判断要素になっているんですかね。

何かよく分からなくなってきましたが,結果を追い求める強い意欲,モチベーションは重要な気がします。

ただ,結果を追い求めすぎると,結果が出なかったとき,つまり,目の前の人を救えなかったというとき,ショックを受けるというか,取り越し苦労をしてしまうと思います。

そこで切り替えが出来ればいいですが,なかなか出来ないですね(>_<)

最後にまとめると,「真摯な動機を持つ」⇒「結果を求めて最大限の努力をする」⇒「結果に一喜一憂しない」というのがいい気がします(^ ^)



08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
プロフィール

spilaw

Author:spilaw
性別:男性
年齢:30代
職業:弁護士
座右の書:『シルバー・バーチの霊訓』

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR