極限まで努力する

2015.04.26 01:55|日常
最近,思うのは,「自分は人の役に立ちたいなどといいながら,人の役に立つために死ぬほど努力しているといえるのか??」ということです。

「食事をするときも風呂に入るときも勉強した。湯船につかっていても教科書から眼を離さない。車を運転するときも勉強した。テープに講義を録音し,ヘッドホンで聞く。信号待ちになると,『時間がもったいない』と教科書を開く。教科書をハンドルの上に載せて,半分見ながら運転する。」(井上篤夫『志高く 孫正義伝』45頁(実業之日本社文庫))



孫正義さんみたいな成功者になりたいというわけではないですが,これだけの努力をしてきたという点はすごく尊敬できます。

また,弁護士でいえば,大学3年時に司法試験合格,大学4年時に国家公務員Ⅰ種試験合格,東大主席卒業,財務省入省,弁護士という経歴をもつ山口真由先生の努力にも刺激を受けます。

「私はものすごく努力家と言われます。司法試験の口述試験の前の2週間の間,睡眠時間は3時間,食事の間はそれぞれ20分,お風呂の時間も20分と決めて,母と1日に10分電話で話をすることだけを息抜きにして,残りの19時間30分をすべて勉強に注ぎ込んだという話をすると,多くの人が驚きの目をします。」(山口真由『天才とは努力を続けられることであり,それには方法論がある。』2頁(扶桑社))



「『私はプロフェッショナルだ。弁護士として外に出す書類は,その細部に至るまで完全に責任を持たなくてはならない』。そのうち,同僚の弁護士達や私が仕事に誇りを感じるのは,華々しい瞬間ではなくて,むしろこういう瞬間ではないかと思えるようになりました。つまり,つらくて地味な仕事を一生懸命引き受けて,最後の最後まで手を抜かずに自分の仕事の責任を果たしたと,胸を張れる瞬間です。」(同書57頁)



私も,司法試験受験のとき,そして弁護士になった後も,努力はしてきたつもりですが,その努力の程度は,山口先生の足下にも及びません。

今まで自分の努力不足で,どこかで手を抜いてしまい,生ぬるい仕事をした結果,人の役に立つ機会を逃し,救えたはずの人を救えなかったことはなかったか。

いま,孫正義さんや山口先生のような努力を自分が出来れば,そしてその努力を人の役に立つ方向に向ければ,どれだけの人を救えるのか。

そう考えると,もっと努力しようというモチベーションが湧いてきます。

1人でも多く人の役に立つということが私の目標なので,そのためには,当然努力が必要です。

そして,その努力は並大抵の努力ではなく,超人的な努力でありたいと思っています。

人の役に立つために極限まで努力するということを日々実行していきたいと思います(^ ^)


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コメント

No title

真心のこもってない勉強って、いくら努力しても短期記憶にしかならないんですよね。長期記憶にするには真心がこもってないとダメなんですよね。

私はそこで詰まってます。

いくらスピリチュアルに強くなっても、いろんな真心の引き出しが増えるわけじゃないんですよね~。

「人の役に立ちたい」

これって良い言葉ですよね。これと勉強の真心が結び付くイメージ力が必要なのかな、と思いました。

例えばですよ?
英単語とか覚えるのと、「人の役に立ちたい」がどう結び付くか、ですよね。単なる音か記号と意味っていう、取るに足らないことと、「人の役に立つ」ということがどう結び付くのか。

先生の方がこの辺のコツは掴んでいらっしゃるのかな、と思うのですがいかがですか?

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