恐れをなくすこと

2015.04.09 02:51|仕事

「地上生活に何一つ恐いものはありません。取り越し苦労は大敵です。生命力を枯渇させ,霊性の発現を妨げます。不安の念を追い払いなさい。真実の愛は恐れることを知りません。その愛が宇宙を支配しているのです。そこに恐怖心の入る余地はないのです。それは無知の産物にすぎません。つまり知らないから怖がるのです。ですから知識を携えて霊的理解の中に生きることです。取り越し苦労の絶えない人は心のどこかにその無知という名の暗闇があることを示しています。そこから恐怖心が湧くのです。人間が恐れるべきものは恐怖心それ自体です。恐怖心は闇の産物です。霊力に不動の信念をもつ魂は恐れることを知りません。」(『シルバー・バーチの霊訓(一)』(潮文社)73頁)



このシルバー・バーチの言葉を何度も読み返して,頭では理解しているはずが,仕事上で,不安・恐れを抱くことは,しばしばあります(>_<)

特に,まだまだ弁護士としてのキャリアが浅い私にとっては,難易度高い裁判,未知の分野の法律相談,聴衆が多い講演会等は,恐怖でしかありません(~_~;)

不安や恐れを感じる度に,シルバーバーチの上記の言葉を思い出したりはするのですが,現実を目の前にすると,どうしても不安感は拭えません。

どうしたら,不安や恐怖を払拭できるのか・・・,ということについては,自分のなかで色々と考えてきましたが,現時点での結論は,「不安や恐れが無くなるぐらい,死ぬほど努力する。」ということです。

たとえば,難易度高い裁判の場合は,訴訟記録を全部暗記してしまうぐらい何度も読み込み,裁判官や相手方代理人弁護士よりも絶対自分の方が証拠に精通しているといえるぐらいにしておきます。

そして,たとえば,証人尋問のときの証人の証言が,証拠と矛盾しているときは,反射的にその証拠の該当頁(甲何号証の何頁とか)が思い浮かび,すぐにその証人を追及できるくらいに鍛え上げます。

また,講演会のような場合は,たとえば「相続と遺言」のようなテーマであれば,相続・遺言に関係するような法律書を徹底的に読みあさり,講演会の質疑応答のときに,何聞かれても,大体は答えられるだろうといえるくらい知識・理解を深めるようにします。

以上の点が実際自分で実践できているかというと,全くそこまではいっていませんが,上記のようなレベルを目指して,必死に努力すれば,不安や恐れというのは,減っていくような気がします。

これは,シルバーバーチが,恐怖心は無知の産物であると言っていることと関係しているように思えて,それは,上記のように自分なりの努力を重ねていけば,自分にとっての無知といえる部分が少なくなっていくから,恐怖心が無くなっていくということなのだと思います。

霊的知識にいくら精通してても,実際問題,たとえば,自分がほとんど知らないテーマの講演会を突然任されて,しかも多数の聴衆がいるような場合,不安や恐れを無くせといわれても,それは無理な話だと思います。

それは,自分なりの努力で,そのテーマに関する無知を無くしていくことで,不安や恐れが減っていくものなのだと思います。

現時点での自分の考えは,以上のとおりですが,日常生活で生じる不安や恐怖については,今後も自分なりに考えていきたいと思います(^ ^)


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コメント

No title

恐怖心とは生物の生存本能であり、シルバーバーチの言うような無知の産物とかでは無いと私は思います。

例えばあなたが包丁の恐ろしさを熟知しているとして、その包丁を突きつけられたら恐怖心が湧かないのでしょうか?
この時知る知らないと恐怖心に関係は無い筈です。恐怖心とは人間の防衛本能に由来するものの筈です。恐怖心が湧かないようにするにはその防衛本能が働かないようにするしかない、例えば、包丁で刺されるという痛みを、感じなければ良い。

しかし、そんなことが不可能であることは、鎌倉時代に親鸞辺りが証明済みの筈です。人間は本能に由来する感情(その当時は煩悩と呼んだ)を寂滅することは不可能なのです。

そうやって冷静に考えると、シルバーバーチの霊言が美麗に装飾された表面的なものであることは明白です。

人間の精神構造には、3つの信号の湧泉があります。つまり、高次元の類魂(ハイヤーセルフとかアカシックレコードとかいうものの出所)からのインスピレーション(つまり善の感識)、幽的流動体(人間が自我だと思い込んでいる極浅い潜在意識)の思念、身体的信号の3つです。その3つの混合が脳細胞に及ぼした顕われが顕在意識です。そのうち、恐怖心とは身体的信号に属する本能の一種です。これは身体のメカニカルなものなのであり、消去することなど絶対に出来ないのです。

そして、人間はその身体的特徴を霊性進化に利用すれば良いというだけの話です。だから、あなたのおっしゃっている自分を高めるという在り方は、やはり適切であると私には思われる訳です。

恐怖心は霊性進化の材料の一種です。シルバーバーチの言うように無くせば良いというものではない、と私は思います。その方がロジカルなのではないでしょうか。

恐怖心が湧くからと言って焦ったりして、心に余裕が無いことの方がよっぽど害悪になるのではないでしょうか。もちろん、裁判に向けて全力を尽くすのは良いことだと思います。しかし、強迫観念にかられてメンタルがまいってしまうようなことがあってはいけません。恐怖心が湧くことも、神の仕組みとして許されているのだと思った方が良いのではないかと思います。

Re

香月様

包丁の例は,確かにおっしゃるとおりですね。包丁を突きつけられたら,たとえ霊的真理を理解していても,恐怖心を完全に無くすことは,人間である以上できないと思います。

ただ,知識を増やし,経験を積むことによって,つまり,無知を無くすことによって,不安とか恐怖心が減っていくケースの方が多いと私は思います。

恐怖心は霊性進化の材料の一つというのは,同感です。不安や恐怖心は自分を高めるきっかけを与えてくれるものと考えています。

No title

>無知を無くすことによって,不安とか恐怖心が減っていくケースの方が多いと私は思います。

包丁で刺されることを回避する方法を知ることは出来ます。しかし、包丁で刺されることの恐怖を克服することは出来ません。無知を知に変えて成したのは、包丁で刺されることを回避することであり、包丁で刺されることの恐怖それ自体を克服したのではありません。

裁判で負けることを回避する方法を知ることは出来ます。しかし、裁判で負けることの恐怖を克服することは出来ません。無知を知に変えて成したのは、裁判に勝つことであり、裁判に負けることの恐怖それ自体を克服したのではありません。

裁判に負けることの恐怖を克服した人は、もしかするとどこかに居るのかもしれません。裁判に負ける、つまり自分の立場が否定されることの恐怖を克服した人ならば。

しかし、その人は希少です。本当に聖人レベルの人だけです。または否定的判決に納得した場合のみ(予定段階では存在しない)。

無知を知に変えて、不安とか恐怖が克服された(と勘違いした)のは、不安とか恐怖の結末を回避する自信がついたからです。結末(つまり裁判に負けること)の不安とか恐怖そのものを克服したのではありません。

ところで、シルバーバーチは何と言いましたか?
「地上生活に何一つ怖いものはありません」
と言ったのです。

「何一つ」??

少なくとも、自己保存本能、苦痛回避本能による不安とか恐怖が動かし難いものであることは事実のはずです。シルバーバーチが非現実的であることは明白です。単なる美辞麗句、ダイヤモンドの輝きでも何でもない、よく出来たガラス細工です。信者は「何一つ」という強迫観念にかられて、自らを追い詰め余裕の無い精神生活になります。あるいは単なる自己暗示、自己催眠の類いです。よくある「自己啓発セミナー」です。

その勘違いがいつか、否、近い将来に簡単に裏切られてしまうことは明白です。何故なら、本質的に恐怖を克服することは絶対に出来ないのだから。

恐怖することもまた人生として受け入れなければ、いつまで経っても不安定な精神を軽減することは出来ないでしょう。

いよいよシルバーバーチの信憑性が疑わしくなってきましたね。

Re

香月様

コメントありがとうございます。

コメ返しようと思ったら,長くなってしまったので,新しい記事にしてみました。直接のコメ返にはなっていないかもしれませんがm(_ _)m

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職業:弁護士
座右の書:『シルバー・バーチの霊訓』

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