2016.07.30 10:27|仕事
先日,薬物依存症リハビリ施設のスタッフの方とお話する機会がありました。

私は,覚せい剤使用の刑事事件を何件か担当しているのですが,前にも書きましたけれど,覚せい剤は辞めるのが本当に難しいので,被告人を説得して,施設に入るように勧めたりしています。

ただ,裁判の前は「施設に入って,一からやり直します!」などと言っていた被告人が,執行猶予とか保釈で外に出れたら,施設に一切行かず,さらに覚せい剤をすぐに使い始めてまた逮捕されるというケースも多かったりします(>_<)

こういう場合,「施設に入れるように,あんだけこっちで色々と動いたのに・・・。」と思ってしまったり,「結局,裁判前の短期間しか接しない弁護士が,被告人を更生させるとか無理なんじゃない?」とか考えたりしてしまいます(~_~;)

そんな話を薬物依存症リハビリ施設のスタッフの方にしていたところ,そのスタッフの方は,こんなことをおっしゃっていました。

「私の場合も,施設に入りたいという被告人の希望で,裁判のときに証人として出席してあげても,裁判後には一切連絡してこないとか,施設に入ってもすぐに逃げ出すとかは,よくあります。

けど,それで裏切られたとかは全く思わないです。

私は,覚せい剤を辞める一つのきっかけ作りをするお手伝いができれば,それでいいと思っているんです。

裁判の後に施設に入らずに,また覚せい剤を使って逮捕されたときに,『あ~,あのときに施設に入っていたら,辞められていたのかな』と思い出してくれて,その後に施設に来てくれれば,それでもいいんです。それぐらい長い目で見ています。

一人でもそういう形で施設に来てくれれば,私はやりがいを感じます。」

この話を聞いて,シルバーバーチの言葉をハッと思い出しました。

「暗闇にいる人に光を見出させてあげ,苦しみに疲れた人に力を与え,悲しみの淵にいる人を慰め,病に苦しむ人を治し,無力な動物への虐待行為を阻止することができれば,それがたった一人の人間,一匹の動物であっても,その人の地上生活は十分価値があったことになります。」(『シルバー・バーチの霊訓(一)』101頁(潮文社))



シルバーバーチは,「たった一人でも人の役に立てれば,それで価値がある」ということを繰り返し言っていますよね。

先の施設スタッフの方の話は,上記の話だけでなく,スピリチュアリズムに通じるような話が多かったので,「もしかして,スピリチュアリスト?」などと思ったりしましたが,スピリチュアリストかどうかは,どうでもいいことだと思いました。

シルバーバーチの霊訓を読んでいるかどうかとかに関係なく,「たった一人でも人のお役に立ちたい」という精神で,まさに日々実践して,奮闘されている方こそ,本当に尊敬できるなあと思いました。

私は,ブログのタイトルに「スピリチュアリズムの実践」と入れつつ,全然実践できていないので,もっと実践を意識しないとと思った次第です。

そのきっかけを作って下さった施設のスタッフの方に感謝です(^ ^)

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2016.07.16 11:00|思索
最近,喉が痛くて,少し風邪気味です(~_~;)

なんか,ビーガンになってから,風邪引くことが多くなったような気が・・・。

私の場合,コンビニ,外食だけで,自炊は一切しないので,ビーガンだと食べれるものの選択肢がかなり少なくて,いつも同じような食事になってしまい,栄養バランスが偏っている,というのはあるなあと思います。

なので,それが原因なのか,それとも,健康を維持するためには,肉とか魚をきちんと食べないといけないのか・・・。

そんなことを考えているとき,世界三大霊訓の1つであるアラン・カルデック『霊の書』で,以下のような記述があったことを思い出しました。

「人間の体質から申して,肉は肉体を養うに役立つ。これがないと,人間の体力は衰える。自己保存の法から申して,人間は自己の健康と体力を維持する義務がある。労働の法を実行するためにである。従って,人間は人体の要求に応じて食事をとるがよろしい。」(アラン・カルデック『霊の書(下)』52頁(潮文社))



これを読み返すと,やっぱり肉食べないと体力衰えてしまうので,肉を食べるべきなのではと思えてきます。

しかも,アラン・カルデックは,「動物の生命を奪うことについては,極端に神経質になる人がいますが,これは良いことですか。」という質問に対して,こんなことも言っています。

「その事自体は立派だが,余り神経質になり過ぎるのは,神経の乱用である。従って,その効果は差し引きゼロとなる。その気持は,真実の愛というより,迷信的恐怖の所産なのである。」(同書57頁)



効果は差し引きゼロということは,肉を控えたところで,霊的成長にとっては何のプラスにもならないということなんでしょうか・・・(>_<)

しかし,こういうアラン・カルデックの言葉は,シルバーバーチの霊訓と明らかに矛盾してます。

「私が常づね申し上げているのは,“殺害”の観念がつきまとう食糧品はなるべくなら摂取しない方がよいということです。殺すということは絶対にいけないことです。」(『シルバー・バーチの霊訓(八)』189頁(潮文社))



このように,肉食という点について,シルバーバーチの霊訓とアラン・カルデックの霊の書は明らかに異なっていると思いますが,この矛盾って何だろうと思い,スピリチュアリズム普及会さんのニューズレターを見てみました。すると,

「モーゼスの『霊訓』やカルデックの『霊の書』には,肉食についての言及はほとんど見られません。」(ニューズレター27号第1項)


と,なぜかスルーされています。。。

アラン・カルデックの『霊の書』では,確かに肉食に関する言及は少ないですが,上記のように肉食OKと明言しているので,「言及はほとんど見られません。」として触れない意味がよく分かりませんでした(~_~;)

上記のニューズレター27号では,シルバーバーチが,肉食や動物虐待に反対していることについて,

「実はそれによって、シルバーバーチの教えが『霊訓』や『霊の書』以上の高いレベルにあることが示されているのです。」


と記載されています。

アラン・カルデックの『霊の書』では肉食について言及せずに,シルバーバーチの霊訓では言及しているということであれば,シルバーバーチの霊訓が一歩進んでますねというのは言えると思うのですが,上記のとおり,アラン・カルデックの『霊の書』では肉食OKと言っていて,肉食について言及しています。

シルバーバーチの霊訓が高いレベルにあるというのはそのとおりだと思いますが,アラン・カルデックの『霊の書』も世界三大霊訓の1つとされていて,高級霊からの通信と一般的に評価されているので,単にレベルの違いであるということではなく,三大霊訓内で矛盾があると捉えるべきじゃないかなあと思えてきます。

上記のニューズレター27号では,

「高級霊からの優れた霊界通信には,内容的に多くの共通性がある一方で,それ独自の特徴・個性もあります。」


とも述べられていますが,肉食の肯定と否定とが「独自の特徴・個性」という評価でいいものかどうか。

このあたりをどう考えたらいいんだろうと思いますが,まだあまり詰めて考えていないので,次回以降にもうちょっと考えたいと思います(^ ^)

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Author:spilaw
性別:男性
年齢:30代
職業:弁護士
座右の書:『シルバー・バーチの霊訓』

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