2015.07.31 23:09|アニマルライツ
シルバーバーチの霊訓を読んでいて,久しぶりに,涙が止まらなくなりました(T_T)

私は,泣くことが滅多にないので,このときの気持ちを忘れないようにするため,ブログにも残しておこうと思います。

昨日,夜遅くに仕事から帰ってきて,ふと,『シルバー・バーチの霊訓(八)』(潮文社)第7章「愛すべき仲間たち‐動物」をもう一度読み返してみようと思い立ちました。

ここ最近,動物の権利問題とかに興味が出てきたところなんですが,シルバーバーチは動物について何と言っていたかを,確認してみたくなったからです。

何回か同章を読んだことはありましたが,今まではそれほど動物のことに興味があったわけではなかったので,特に印象に残っている章でもありませんでした。

それで,読み返していると,以下の部分に目がとまりました。

「地上の動物愛護運動の背後には偉大な霊の集団が控えております。そのリーダーといってよい立場にあるのが地上で“アッシジの聖フランチェスコ”と呼ばれていた人物です。霊界において活発にこの運動を展開しており,他界後に身につけた霊力をフルに活用してあなた方の仕事の成就を援助しております。」(219頁)



この部分を読んでいて,ふと,目をつぶって,ここで言われている「偉大な霊の集団」をイメージしていました。

特に何か意味があってそうしたわけではなく,無意識的にそうしていました。

すると,言葉で表現することが本当に難しいのですが,突然,もの凄く巨大で崇高な存在が,微笑みながら温かく後押ししてくれているような,そっとベールのようなもので包みながら後ろからサポートしてくれるような,そんな感覚におそわれました・・・。

以前にこのブログの「シルバーバーチの霊訓との出会い」のところで書いたのと,同じような体験でした。

これにより,私は,感動しすぎて,涙がこぼれ落ちてきて,その後,15分くらい涙が止まらなくなりました(T_T)

私1人で孤軍奮闘しているわけではなく,みんなが後ろから微笑みながら支えてくれている感じ,「一緒に頑張りましょうね!」と凄く優しく語りかけてくれている感じ・・・。

色々表現してみても,適切な表現は見当たらないのですが,このような体験を突然して,私自身,びっくりしました(>_<)

私は,基本,一切泣かないですし,司法試験に合格したときも,涙を一滴も流さなかったタイプです。

シルバーバーチの霊訓に初めて出会ったときは,ブログにも書いたとおり,泣きましたが,その後は,シルバーバーチの霊訓を読んでも,感動はするんですけど,泣くというとこまで至っていませんでした。

それが今回は何でここまで泣けたんでしょう・・・??

動物愛護運動を頑張ってという霊界からのゴーサインだったのでしょうか。

最近,動物の権利問題に興味を持ってきていたので,「動物の権利を守る弁護士っていいなあ。」と漠然と考えたりしていました。

ただ,「動物の権利専門弁護士って聞いたことないぞ。」,「第一,自分はペットすら一度も飼ったことないし,犬とか猫と触れあった経験もないしな。」「ペットに関する法律相談も一度も受けたことないぞ。」とか色々考えて,それを専門にするというよりかは,仕事の傍ら,趣味的に動物の権利問題を勉強するぐらいの感じでいいんじゃないかとも考えたりしていました。

しかし,強すぎると思っていた自分の涙腺が,今回,突然崩壊したことを受けまして,その意味を考えてみました。

シルバーバーチの霊訓に出会ったときも結構泣きましたけど,15分も泣き続けるということはなかったです。

そうすると,物心ついてから,今回が一番泣いたんじゃないでしょうか。

正直,この体験が霊的体験なのか分からないですし,「偉大な霊の集団」をイメージして,自己暗示的にこういう体験を作り出したのかよく分からないですけど・・・。

私としては,「動物の権利を守る弁護士」を目指すかどうかで,迷っていた時期に,こういう体験をしたので,「その方向でOK」と霊界から後押ししてくれたんじゃないかと勝手に解釈することにしたいです。

これから,動物の権利問題を必死に勉強していきたいと思います!

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2015.07.30 01:12|仕事

「魂の成長は自分を役立てることによってのみ促進されるものです。他人のために自分を忘れているうちに魂がその大きさと力を増すものだからです。」(『シルバーバーチの霊訓(四)』(潮文社)216頁)



先日,私が刑事裁判で思うような結果が出なかったとき,ある先輩弁護士から,「しょせん他人事なんだから,気にすんなよ。」と言われました。

その弁護士曰く,「自分のことのように,のめり込んでやってたら,精神的にも持たないよ。別に自分が刑務所行くわけでもないんだし,しょせん他人事っていう割り切りが必要なんだよ。別に手抜いていいっていう意味じゃないけどさ。」といったことでした。

先輩弁護士は,私がへこんでいるだろうと思い,励ます意味でそういってくれたのだと思いますが,「しょせん他人事」という言葉には,ひっかかってしまいました。

「しょせん他人事。結局,自分は関係ない。」という意識は,まさに利己主義で,そういう意識で仕事している限り,人の役に立つことなんてできないと思います。

「自分と他人」というように区別するのではなくて,他人のことを自分のことのように,さらに,他人のために自分を忘れるぐらいの姿勢でいたい,と強く思った次第です。



2015.07.25 01:06|アニマルライツ

「みなさんは動物への虐待行為を減らし,もっと良い方法,哀れみに満ちた手段を教えるための努力をすべきです。・・・(省略)・・・。愛とは摂理を成就することなのです。他の生命に残酷な行為をしているかぎり,愛を成就しているとは言えません。」(『シルバー・バーチの霊訓(八)』(潮文社)197頁)



フォアグラの強制給餌は残酷だとよく言われますし,強制給餌を禁じている国も増えてきています。

私は,今までフォアグラを食べたことがほとんどないですし,おいしかったという記憶もないです。

ですので,もともとフォアグラに対して思い入れがないですし,強制給餌問題を知ってから,生産を中止して欲しいと強く思うようになりました。

強制給餌は,以下のような手順で行われています。

「i.手で鳥の頭とくちばしを掴み、口をあけさせる
ii.50cmの長さの鉄パイプを、鳥の口に突き刺す
iii.彼らの体の1/4~1/3もの量のとうもろこしの粉と油の混合物を、鉄パイプを通して、胃に押し込む
iv.鉄パイプを引く抜く
v.胃は痙攣するが、吐き出せない状態で嗚咽を繰り返す
vi.この工程が、一日2,3回、3,4週間、続けられる」
(NPO法人アニマルライツセンター「フォアグラの生産方法」
http://www.hopeforanimals.org/animals/foiegras/00/id=219



ガチョウや鴨は,極めて狭い檻に拘束されたされたうえ,このような強制給餌を3,4週間続けられ,肝臓が異常なまでに膨れ上がります。

そして,喉を切り裂いて殺されたうえ,取り出した肝臓がフォアグラとなります。

正直,人間は何でこんな残酷なことができるのかと悲しくなります・・・。

「残酷」かどうかの判断基準は人それぞれでしょうけれど,さすがにフォアグラは,多くの人が「残酷」と判断するのではないでしょうか。

アニマルライツセンターのアンケートによると,フォアグラの生産方法を知らなかったと答えた人のうち、「フォアグラを食べたくない」と答えた人は51.5%、「あまり食べたくない」と答えた人は22.6%だったようです。
(NPO法人アニマルライツセンター「すかいらーくさん、フォアグラメニューの廃止をお願いします」
http://www.hopeforanimals.org/animals/foiegras/00/id=332

私の感覚だと,フォアグラの実態を知れば,ほとんどの人が一切食べたくなくなるはず,と思ったのですが,そうでもないようです・・・。

けれど,半数以上の人が,事実を知れば食べたくなくなると感じているので,少しでも多くの人に事実を知ってもらう必要があるんじゃないかと思いました。

そして,強制給餌反対の声がもっと大きくなっていけば,法改正への道が日本でも開けてくる気がします。

ドイツでは,動物保護法において,「動物の健康のためにやむを得ず行う場合を除き、動物に強制的に給餌を行う事は禁ずる。」と規定されているようです。

インドでは,最近になってフォアグラの輸入を禁止したそうです。

日本についてみると,フォアグラの生産は現在しておらず,専ら輸入に頼っているようなので,強制給餌の禁止というよりかは,輸入等の禁止を目指すことになるかと思います。

そうした法律を日本で制定させるために,弁護士としてできることはないか,ということをもっと考えていきたいと思った次第です。

2015.07.23 02:35|アニマルライツ
動物のことを真面目に考えようとすると,色々と問題が出てきます(>_<)

その1つとして,「蚊とかゴキブリは殺してもいいの?」「牛とか豚を殺すべきじゃないと言いながら,蚊とかゴキブリを殺してるのは矛盾してない?」という問題です。

最近,暑くなってきて,蚊も増えてきましたし,ゴキブリもそろそろ出くわすかもしれないので,これは早めに解決しないといけない,緊急性のある問題ですね(^ ^)

前回の記事でも紹介した『ぼくらはそれでも肉を食う-人と動物の奇妙な関係』(柏書房)では,著者は,「愚かしい一貫性の見本」として,ある動物保護運動家の主張を取り上げています。

その主張は,以下のとおりです(同書340頁)。

・「知覚力を持つあらゆる生命体は平等であるから,人間のだれかを犠牲にしてイヌを助けることになんらおかしなところはない」
・「スズメバチにも法的な生命権が必要である」
・「わたしたちの道徳的な義務は昆虫など神経系を持つあらゆる存在を含む必要がある。これは有櫛動物やクラゲやヒドラ,イソギンチャク,サンゴなどの刺胞動物も含む。」



「あらゆる生命体は平等」という考えを推し進めれば,確かに,この主張は,一貫してますね。

あらゆる生命体が完全に平等なら,蚊を殺すことは,人を殺すことと同じくらい罪深いんでしょうか。

しかし,常識的に考えて,この結論は,何かおかしいと思ってしまいます。

よく分からないときは,シルバーバーチを参照してみようということで,シルバーバーチの霊訓を見てみました。

「(殺すということは)意識を基準とすべきです。意識があるかぎり,それを殺すことは間違いです。」(『シルバーバーチの霊訓 スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』(スピリチュアリズム普及会)223頁)



これをその通り読むと,蚊にも何らかの意識はありそうなので,殺すことは間違いなの??と思いました。

この点について,スピリチュアリズム普及会のHPに,ずばり書いてありました。

「牛や馬・羊といった家畜などの動物には、類魂の意識が内在している以上、それを殺すことは罪になりますが、類魂意識を持っていない他の生き物を殺しても、神の摂理に背くことにはなりません。ノミやシラミや微生物には意識はないので、こうした昆虫や微生物を殺しても摂理に反することにはならないのです。」
スピリチュアリズム普及会「スピリチュアリズムから見た肉食と動物虐待の問題」
http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/sp_newsletter/spnl_backnumber/spnl-27/spnl-27-1.htm




何やら難しい問題になってきましたが,シルバーバーチが言っている“意識”というのは,“類魂意識”のことで,蚊とかゴキブリは,類魂意識を持っていないから,殺しても間違いではないということ何でしょうか。

ただ,シルバーバーチは,以下のとおり,動機と程度の問題とも言っています。

「すべての生命に敬意を抱かねばならないのは言うまでもないことですが,これも動機と程度の問題です。・・・(省略)・・・。生きるための環境条件を確保する必要を考慮に入れなければなりません。たとえばダニが発生した場合,その家に住む者の健康を確保するという動機からであれば,スプレーで駆除してしまった方がくつろいで暮らせます。」(『シルバー・バーチの霊訓(八)』(潮文社)8巻181頁)


  
以上をまとめると,犬,猫,牛などの動物には,類魂の意識が内在している以上,それらを殺すことは基本的にダメ。昆虫とか微生物などの進化していない生き物は,類魂の意識がないけど,それらを殺してもいいかどうかは,動機と程度の問題ということ何でしょうか。

ゴキブリを発見したら容赦なく殺すときの動機って,「気持ち悪い」「汚い」「ぞっとする」とかそんな感じだと思うので,それは動機から見て望ましくない気がします。

そうすると,殺さずに簡単に捕獲できるアイテムを探して,それで生かしたまま外に逃がすというのがベストな気がしてきたので,何かいいのないか探してみようと思います(^ ^)


2015.07.18 03:42|アニマルライツ
最近,動物の権利などに興味が出てきて,情報収集したりしているのですが,ふと,「動物愛護運動家には,何か女性が多くない?」と感じました。

日本の動物愛護団体を見ても,NPO法人アニマルライツセンターの代表者は岡田千尋さん,NPO法人地球生物会議ALIVEの創設者は野上ふさ子さんで,いずれも女性です。

ペットを飼っていたり,動物への関心が高いのは,男性よりも,女性という漠然とした印象があったので,特にそれ自体に違和感はないのですが,何で女性は,男性より,動物への愛着が強いのだろうと思いました。

この点について,動物への態度における性差を分析している下記の本が,参考になりそうです。


ぼくらはそれでも肉を食う―人と動物の奇妙な関係
ハロルド ハーツォグ
柏書房
売り上げランキング: 131,748


「ほとんどあらゆる草の根の動物保護運動のなかで,女性は中心的な役割を果たしている。アメリカの二大愛護団体,『アメリカ動物虐待防止協会(ASPCA)』と『アメリカ動物愛護協会(HSUS)』では,職員の85%を女性が占めている。」(同書175頁)


これはアメリカの話ですけど,やはり女性が圧倒的に多いんですね。

著者は,動物に対する態度の男女差に関する何百という論文を読んで,下記の結論に達したようです。

「ひとつは,原則として女性は男性に比べて動物に弱いこと。もうひとつは,・・・(省略)・・・。極端な例に目をやるときはじめて,大きな性差が出てくる-つまり,動物愛護運動家と,動物虐待者だ。」(同書184頁)



著者によると,動物の福祉を気にかける傾向は,女性の方があるけど,男女でそれほど大きい違いはないとのことで,これは意外でした。

しかし,両極の立場にいる人,具体的には,動物の権利支持側は圧倒的に女性が多いのに対して,アンチ動物側には,はるかに男性が多いということらしいです。

では,その原因って何なんでしょう??

「要するに,わたしたちとほかの生物種の交流における男女差は,政治的,文化的,進化的,生化学的な要因を力いっぱい混ぜ合わせた結果なのだ。」(同書186頁)



同書は,こういう風に結論づけていて,これは何とも腑に落ちない感じです(~_~;)

動物人類学の第一人者の著者でも,これが原因だというように,一つに決められないんでしょうね。

多分説明の仕方としては,色々あって,同書でも紹介されてますけど,「かわいらしい動物は,女性ホルモンと同じ効果を女性にもたらす」からとか,「女性も動物も男性に搾取された被害者だから,男性に比べて動物に共感しやすい」とか,「狩猟は人類のあらゆる社会において男がやるものだと決まっている」から,などなど。

同書は,動物に対する態度の男女差だけでなく,「ソファにはネコ,皿には牛 - 人はみんな偽善者?」とか,色々なテーマをおもしろく取り上げていて,オススメです(^ ^)


2015.07.11 01:27|日常
以前,私は,ラクトオボ・ベジタリアン(肉や魚は避けるけど乳製品や卵は食べる)と書きましたけど,最近は,ビーガン(肉,魚だけでなく,卵や乳製品も食べない)になりつつあります。

なんでビーガンなのかというと,卵や乳製品も,結局,動物虐待の結果だと思えてきたからです。

「バタリーケージを採用している割合は、日本は95%~98.9%だ。ほとんどの卵がバタリーケージで苦しむ鶏が身を削って産み落とした卵・・・(省略)・・・
今も日本中で17億羽の鶏たちが、このストレスフルな状況を耐え忍んでいる。
そして、1年ほど卵をうみ続けたのち、廃鶏と呼び名が変わり、出荷され殺され、肉にされる。その肉の多くは、ミンチにされハンバーグやハムなどの加工品、レトルト食品、スープの素にされている。」
(NPO法人アニマルライツセンター「バタリーケージ:日本の状況を知ろう」
http://www.hopeforanimals.org/animals/tamago/00/id=235)


「乳牛は、搾乳が始まるとほぼ死ぬまで牛舎の中につながれたままとなるので、運動不足で足も細くなり、重い体重を支えきれなくなって、しばしば関節炎を起こします。関節炎で立てなくなった牛は、トラックに乗せてと畜場まで運ぶことが困難なため、そのまま水や餌を与えず衰弱死させることもあります。」
(NPO法人 地球生物会議 ALIVE「搾り取られる乳牛の短い一生」
http://www.alive-net.net/animalfactory/fact/nyugyu.html



これらの記事について,根拠があるのかどうか検証したわけではありませんが,これらが事実だとすると,本当にいたたまれないです・・・。

何とかこの状況を変えられないものか・・・,と強く思いました。

そして,少しでも動物の犠牲を減らすため,卵や乳製品もやめようという気になりました。

鶏とか牛とかの上記のような悲惨な状況と,今食べようとする卵や乳製品が,自分のなかで結びついたとき,もう何か食べる気がなくなりました。

ただ,ビーガンとなると,ラクトオボ・ベジタリアンのときより,さらに食事の選択肢が狭まって,外食がかなり難しくなりますね(>_<)

多くの人がビーガンになり,巷にビーガン・レストランが溢れていたら,どんなに生きやすいんだろうと考えたりしますが,現状を嘆いても仕方ないので,まずは自分がしっかりビーガンライフを送り,それを少しずつでも,何らかの形で広めていけたらいいなあと思います(^ ^)


2015.07.06 00:10|書籍紹介

わたしが肉食をやめた理由 (いのちと環境ライブラリー)
ジョン ティルストン
日本教文社
売り上げランキング: 54,745


「『ねえママ,これは牛さんのどこのお肉?』子供のそんな質問をきっかけに,バーベキュー好きの一家はベジタリアンになっていった…。食生活が私たちの環境・健康・倫理に与える影響を中心に,現代社会で菜食を選び取ることの意義を綴った体験的レポート。」



本書のこの紹介文に惹かれて,読んでみました(^ ^)

著者はベジタリアンになったものの,ディナー・パーティーなどでベジタリアンである理由を周りの人にきちんと説明できなかったことが,本書の執筆の動機だったようです。

原題が,『How to explain why you’re vegetarian to your dinner guests』で,直訳すると,『あなたがなぜベジタリアンであるかをあなたのディナー・ゲストに説明する方法』なので,この方が内容に合ってますね。

本書は,『わたしが肉食をやめた理由』となっていますが,著者は,確固たる理由があって,肉食をやめたというよりかは,子どもの何気ない言葉と妻の影響で肉食をやめたけど,それを周囲にうまく説明できなかったので,肉食をやめる理由を色々調査してみたという感じです。

著者は,金融アナリスト・ジャーナリストだけあって,信用できる機関の統計情報などを根拠に客観的に分析していて,勉強になるところが結構あります(その分単調になっている部分がありますが)。

ただ,印象に残っているのは,そういった統計データではなく,下記の部分でした。

「牧場のそばを散歩していて牛のそばを通りかかったら,即座に本能的に思いやりの気持ちが戻ってくる。そうすると,どんな場合にも,もし出会うことがあれば,わたしは相手の動物を殺して食べることはできないと思い知る。単純にそれを延長すれば,ただ出会ったことがないからという理由で牛や豚を食べるわけにはいかない。
現在,多くの人が肉を食べられるのは,動物の死が自分と無関係になっているためだと思う。」(本書P144)



ベジタリアンになる前の私もそうでしたが,たとえば,牛丼とかトンカツを食べるときも,殺された牛や豚のことを想像するなんてないですし,そこまで思い至りません。

しかし,食べようとしている牛丼やトンカツと,牛や豚の死が無関係ではなく,それらが結びついてしまったとき,急に食べる気が失せます。

たとえば,牧場で生きている牛と触れあった後,その牛を牛丼として目の前に出された場合,多くの人は,さっき触れあった牛のことを思い出してしまい,食べることができなくなってしまうと思います。

また,実際にはありえないですが,マグロの解体ショーみたいに,スーパーで牛を殺して,新鮮な牛肉ですと売り出しても,ほとんど買う人いないんじゃないでしょうか。

そうすると,肉を食べることができるかどうかは,その肉と動物の死を結びつけられるかどうかによる気がします。

なかなか普段の生活で,牛とか豚を身近に感じることはないですが,もっと身近な存在で普段目にしていれば,牛や豚への愛着がわき,食べることに抵抗が出てくると思います。

動物へもっと興味を向けて,愛着を持つようになれば,食肉と動物の死とが結びついていき,自然とベジタリアンに向かっていくんじゃないかなと思いました(^ ^)


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spilaw

Author:spilaw
性別:男性
年齢:30代
職業:弁護士
座右の書:『シルバー・バーチの霊訓』

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