2017.07.17 00:16|思索
私は刑事事件は常に数件担当しているのですが,いま扱っている刑事事件のなかでも,一番対応に困っている被告人が,重大犯罪を何件か起こして,長期の懲役刑が予想されている被告人です。

その被告人と色々と話をしてみて分かったのが,その被告人の根底にある考え方が唯物主義的で,「とにかく自分が好きなように生きる。汗水垂らして働くなんて馬鹿らしい。やりたいようにやって,人生に嫌気がさしたら,死んでもいい。」という感じです(~_~;)

なので,いま裁判になっている件についても全く反省はなく,今後出所した後も,詐欺でも強盗でも手っ取り早く稼げる犯罪にまた手を出すか,もしくは自殺してしまうかのどっちかではないかと心配しています。。。

この被告人は唯物主義者のなかでも極端な部類かもしれませんが,本当に人生が一度きりで,死んだら最後,それで全て終わりという前提だったら,こういう被告人みたいな考えになってもしょうがないと思います。

しかし,本当に死んだらそれで終わりなのかという,その前提の部分をもっと考えて欲しいという気持ちが強いです。

唯物主義に関して,私が共感したアラン・カルデックの言葉があるので,ちょっと引用します。

天国と地獄―アラン・カルデックの「霊との対話」
アラン カルデック
幸福の科学出版
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「『死んだらすべてが消滅し,完全な虚無が待っているのみ』という考え以上に恐ろしい考えがあるだろうか?健やかな愛も,知性も,向上も,苦労して身につけた知識もすべてが打ち砕かれ,すべてが消滅する(!)というのであるから。
もしそうなら,どうして,よりよい人間になるために努力をし,苦労して欲望を統制し,一生懸命,精神を豊かにする必要があるだろうか?」(アラン・カルデック『アラン・カルデックの「霊との対話」天国と地獄』(幸福の科学出版)292頁)



「死後が虚無であるならば,結局は,『いまさえよければいい』ということになる。論理的に考えても,待っているはずのない未来にかかずらうことはできないからである。
『いまさえよければいい』と考え始めると,当然,その次は,『自分さえよければいい』と考えることになる。まさしくエゴイズムの極地である。そして,そうなったときには,これも当然のことながら,自己信頼は失われる。そして,『生きているあいだだけが華だもの。やりたい放題をやって楽しまなければ損』ということになる。」(同書293頁)

 
先ほどの被告人に対してもそうですが,「死んだらすべてが消滅し,完全な虚無が待っているのみ」というのが,何で当然の前提になっているのか,それに対して疑問がないのかというのは是非問いたいところです。

「生きているあいだだけが華だもの。やりたい放題をやって楽しまなければ損。」という考え方に本当に違和感を持たないのか,自分の良心に照らして間違いないといえるのか,ということについて,私としては,「それは直観的に考えても,やっぱり何かおかしいという気はしないですか??」と言いたいところです。

それでも,「自分はそういう考えだ。」ということだったら,それは正直,もう為す術がないなあという気がします。

アラン・カルデックも言っているように,死んだらそれで全てが終わりという唯物主義的考え以上に恐ろしいものはないなあと本当に思います。

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2017.03.21 23:47|思索
シルバーバーチの霊訓〈1〉

潮文社
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今まで一番感銘を受けた本といえば,シルバーバーチの霊訓で,これを自分の人生の基盤として,常に実践を心掛けたいと思っているのですが,なかなか普段の生活で実践できません(~_~;)

普段の自分の生活を振り返ると,「本当にスピリチュアリスト??」と疑われるような行動は多い気がします(>_<)

仕事でイライラしたり,思いやりに欠けた言動をとったり,他人からの評価や世間体を気にしすぎたり,裁判とかの仕事の結果で一喜一憂したり。。。

その原因を考えてみたところ,シルバーバーチの霊訓を日常生活で常に実践できるほど理解していないからじゃないかと思い至りました。

私がシルバーバーチの霊訓に出会ってから10年以上経つので,霊訓の内容は「知識」としては持っていると思うのですが,それを使いこなせるだけの「理解」には至っていないのかなと思いました。

この「知識」と「理解」との間には,結構差があると思っています。

ちょっと話がずれますが,司法試験受験のときにも,この「知識」と「理解」というのは,自分の中で色々と考えたことがあります。

司法試験は,短答式試験(マーク式)と,論文式試験の両方があって,短答は知識の丸暗記でも対応できるのですが,論文は本当に理解していないと解けない内容になっています。

具体的には,論文試験では,毎年必ず,受験生のおそらく誰も考えたことのないような問題が出されて,その未知の問題に答えられるかどうかが,合否を分けることが多いです。

この未知の問題を解けるかどうかは,基本的知識をきちんと「理解」しているかどうかにかかっていて,司法試験を作成している偉い学者の先生も,「知識」ではなく,「理解」しているかどうかを見たいと言っていたのを覚えています。

基本的知識を単なる「知識」として暗記しているレベルだと,未知の問題には対応できないのですが,基本的知識をきちんと「理解」していれば,それを未知の問題にも応用できる,つまり使いこなせることができるので,自分が見たことのない問題でもその場で考えて,何とか答えを出すことができます。

どうやったら,基本的知識を「理解」するところまで持っていくかは,受験生の悩みの種なんですが,司法試験合格者の割と多くの人が,各科目の信頼できる基本書1冊を選んで,それをとにかく繰り返し読み込むのが重要と言っていました。

なので,私もそれに従って,基本書は手を広げずに1冊に絞り,それを何十回と反復して読み込みましたが,その繰り返しの作業のなかで,ようやくその科目の基本的知識が「理解」できたというレベルまでいったなあと実感しました。

1冊の本を何回も読むのは,本当にしんどいですし,飽きて辞めたくなるのですが,途中で他の本に手を出していたら,結局,「理解」するところまで行かずに,「知識」として持っているというレベルにとどまり,論文試験でも失敗していただろうなあと思います。

話を戻しますが,シルバーバーチの霊訓についても,もっと繰り返し読み込まないと,「理解」する段階まで到達せずに,日常生活で実践,応用することができないんじゃないかと思いました。

普段の生活では,人間関係,お金の問題,将来の不安などの世俗的な問題が次々と押し寄せてくるので,シルバーバーチが言っていることを「知識」として知っているというレベルでは,世俗の方に押し流されてしまうと思います。

そうならないためには,一番信頼できるシルバーバーチの霊訓に絞って,それを繰り返し読むことに集中した方がいいのかなと思います。

スピリチュアリズム関係の本は多くあって,シルバーバーチ以外でも,たとえば,アラン・カルデック,モーゼス,オーエンなど良書もあると思いますが,色んな本に手を出す前に,まずは,シルバーバーチの霊訓についての理解,そしてその実践を最優先にすべきだと思いました。

おそらく何回も繰り返し読んでいる途中で,初見のときのような感動はどんどん薄れて,他の本にも手を出したくなると思いますが,それをぐっと堪えて,とにかくシルバーバーチの霊訓を「理解」して実践することに集中しようかなと思います。

なので,司法試験のときに各科目の基本書1冊を何十回も読んだのと同じように,シルバーバーチの霊訓だけを基本書として,嫌になるぐらい何十回も読み込もうかなと思い至った次第です(^ ^)

2016.07.16 11:00|思索
最近,喉が痛くて,少し風邪気味です(~_~;)

なんか,ビーガンになってから,風邪引くことが多くなったような気が・・・。

私の場合,コンビニ,外食だけで,自炊は一切しないので,ビーガンだと食べれるものの選択肢がかなり少なくて,いつも同じような食事になってしまい,栄養バランスが偏っている,というのはあるなあと思います。

なので,それが原因なのか,それとも,健康を維持するためには,肉とか魚をきちんと食べないといけないのか・・・。

そんなことを考えているとき,世界三大霊訓の1つであるアラン・カルデック『霊の書』で,以下のような記述があったことを思い出しました。

「人間の体質から申して,肉は肉体を養うに役立つ。これがないと,人間の体力は衰える。自己保存の法から申して,人間は自己の健康と体力を維持する義務がある。労働の法を実行するためにである。従って,人間は人体の要求に応じて食事をとるがよろしい。」(アラン・カルデック『霊の書(下)』52頁(潮文社))



これを読み返すと,やっぱり肉食べないと体力衰えてしまうので,肉を食べるべきなのではと思えてきます。

しかも,アラン・カルデックは,「動物の生命を奪うことについては,極端に神経質になる人がいますが,これは良いことですか。」という質問に対して,こんなことも言っています。

「その事自体は立派だが,余り神経質になり過ぎるのは,神経の乱用である。従って,その効果は差し引きゼロとなる。その気持は,真実の愛というより,迷信的恐怖の所産なのである。」(同書57頁)



効果は差し引きゼロということは,肉を控えたところで,霊的成長にとっては何のプラスにもならないということなんでしょうか・・・(>_<)

しかし,こういうアラン・カルデックの言葉は,シルバーバーチの霊訓と明らかに矛盾してます。

「私が常づね申し上げているのは,“殺害”の観念がつきまとう食糧品はなるべくなら摂取しない方がよいということです。殺すということは絶対にいけないことです。」(『シルバー・バーチの霊訓(八)』189頁(潮文社))



このように,肉食という点について,シルバーバーチの霊訓とアラン・カルデックの霊の書は明らかに異なっていると思いますが,この矛盾って何だろうと思い,スピリチュアリズム普及会さんのニューズレターを見てみました。すると,

「モーゼスの『霊訓』やカルデックの『霊の書』には,肉食についての言及はほとんど見られません。」(ニューズレター27号第1項)


と,なぜかスルーされています。。。

アラン・カルデックの『霊の書』では,確かに肉食に関する言及は少ないですが,上記のように肉食OKと明言しているので,「言及はほとんど見られません。」として触れない意味がよく分かりませんでした(~_~;)

上記のニューズレター27号では,シルバーバーチが,肉食や動物虐待に反対していることについて,

「実はそれによって、シルバーバーチの教えが『霊訓』や『霊の書』以上の高いレベルにあることが示されているのです。」


と記載されています。

アラン・カルデックの『霊の書』では肉食について言及せずに,シルバーバーチの霊訓では言及しているということであれば,シルバーバーチの霊訓が一歩進んでますねというのは言えると思うのですが,上記のとおり,アラン・カルデックの『霊の書』では肉食OKと言っていて,肉食について言及しています。

シルバーバーチの霊訓が高いレベルにあるというのはそのとおりだと思いますが,アラン・カルデックの『霊の書』も世界三大霊訓の1つとされていて,高級霊からの通信と一般的に評価されているので,単にレベルの違いであるということではなく,三大霊訓内で矛盾があると捉えるべきじゃないかなあと思えてきます。

上記のニューズレター27号では,

「高級霊からの優れた霊界通信には,内容的に多くの共通性がある一方で,それ独自の特徴・個性もあります。」


とも述べられていますが,肉食の肯定と否定とが「独自の特徴・個性」という評価でいいものかどうか。

このあたりをどう考えたらいいんだろうと思いますが,まだあまり詰めて考えていないので,次回以降にもうちょっと考えたいと思います(^ ^)

2016.05.17 00:45|思索

「あなたも私も,そしてこれに携わる人のすべてがそれぞれに役割分担を担っているスピリチュアリズムの全目的は,人類の魂を呼び醒まして一人でも多くの人間に本当の自分に気づかせること,自分とは一体なにか,誰なのかを知ることによって,ふだんの日常生活の中において霊の本性と属性を発揮することができるように導いてあげることです。」(『シルバー・バーチの霊訓(二)』196頁(潮文社))


何か最近,仕事をしていて,「スピリチュアリズムを知っていれば,こんな争いごとも起きないだろうな・・・。」とか,「スピリチュアリズムを知っていれば,彼もこんな犯罪を犯すこともなかっただろうな・・・。」とか思うことが多いです。

もっと視点を広くしても,戦争,貧困,動物虐待などなど,世界で起きているあらゆる不幸って,スピリチュアリズムを知らないことが原因なのではないかと。

結局,こういう問題の抜本的な解決ということを考えると,スピリチュアリズムの普及しかないんじゃないかなあと,最近あらためて思います。

世界中の皆が,スピリチュアリズムを知り,そして実践している世界って,お互いがお互いのために尽くし合う世界で,それって想像しただけで,笑顔に満ちてて平和な世界なんだろうなと思います。それこそ地上天国ですよね。

そういう世界の実現に一歩でも近づけるように,何か私なりに貢献できないかと思うところです。

いまは匿名でコソコソとブログをしていますが,将来的には実名でスピリチュアリズムの普及活動を本格的にやりたいなあという思いが最近強くなってきました。

おそらくそういう活動をしていくと,私の周りの弁護士や知り合いなども,私から離れていくんだろうということは予想できます(~_~;)

正直,周りの人たちが自分から離れていって孤立することが恐くないと言ったら嘘になりますが,シルバーバーチも言っているように,周りが何といおうと,世間から何といわれようと,自分の良心に従って,普及活動をしていけたらなあと思います。

「世間がどう言おうと,まわりの人が何と言おうと,自分で正しいと思うことをしなさい。その方が都合が良いとか得策だからではなく,心の奥でかくあるべきだと確信したこと,良心がそう命じていることを実行すればよいのです。」(『シルバー・バーチの霊訓(十二)』98頁(潮文社))



今後スピリチュアリズムを普及させるためには,まずもって自分がスピリチュアリズムをよく理解して,日常生活でも常に実践しないとですよね(^ ^)

あと,スピリチュアリズムを理解するためには,もっとスピリチュアリズム関係の本も読まないとと思います。

スピリチュアリズムは実践が第一ですが,スピリチュアリズムを全く知らない人に分かりやすく伝えていくということを考えると,普及する前提として,正しい理解というのが不可欠なんじゃないかなあと思います。

ですので,今後は仕事を通じて日々実践を心掛けるとともに,仕事の合間をぬってスピリチュアリズム関係の本を読み進めていこうと思っています(^ ^)

2016.01.03 00:23|思索
あけましておめでとうございます(^ ^)
今年もよろしくおねがいしますm(_ _)m

小学生ぐらいのときから,元旦に,その年の1年間の目標を立てて紙に書き出すよう父親から義務付けられていたため,いまだに私の中でその習慣が残っています(^ ^)

ざっくりとした目標としては,「1人でも多くの人の役に立つこと」なのですが,それを具体化するために,どうしていったらいいか。

「人の役に立つ」といっても,その手段は本当色々あるので,その動機さえ見失わなければ,あとは各自それぞれの自由な選択なんだろうなあと思います。

ただ,いくつかある選択肢のなかで,「どっちの道を選択したらいいんだろ(~_~;)」と悩むことはありますよね。

そういう場合の判断基準については,下記のシルバーバーチの言葉を参考にしています。

「決断を下さなければならない事態に立ち至った時は,それが特定の少数ではなく,全部の人,あるいはなるべく多くの人にとって益になることを動機として判断しなさい。」(『シルバー・バーチの霊訓(十二)』(潮文社)99頁)

  
これは,たとえば,A,Bという2つの進路(選択肢)がある場合,どっちを選べば,より多くの人の役に立てるかを判断基準とするということだと思います。

たとえば,(A)今の職場は社会貢献などとは無縁だが,このまま働き続ける方が安定しているので,家族(特定少数)のためには,転職しない方がいい,しかし,(B)転職した方が,社会貢献,より多くの人のお役に立てる仕事ができそう,という場合は,後者のBの選択肢を選ぶ,ということになるんじゃないかと思います。

あれこれと将来設計を考えるのは好きなので,自分の場合は,この1年でこれとこれをして,5年後までにはこうしてと,この正月に色々と考えてました(^ ^)

そして,自分が好きな曲である「カヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲」を聴き,気持ちを新たにして,モチベーション高めたところです(^ ^)

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Author:spilaw
性別:男性
年齢:30代
職業:弁護士
座右の書:『シルバー・バーチの霊訓』

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