2017.03.21 23:47|思索
シルバーバーチの霊訓〈1〉

潮文社
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今まで一番感銘を受けた本といえば,シルバーバーチの霊訓で,これを自分の人生の基盤として,常に実践を心掛けたいと思っているのですが,なかなか普段の生活で実践できません(~_~;)

普段の自分の生活を振り返ると,「本当にスピリチュアリスト??」と疑われるような行動は多い気がします(>_<)

仕事でイライラしたり,思いやりに欠けた言動をとったり,他人からの評価や世間体を気にしすぎたり,裁判とかの仕事の結果で一喜一憂したり。。。

その原因を考えてみたところ,シルバーバーチの霊訓を日常生活で常に実践できるほど理解していないからじゃないかと思い至りました。

私がシルバーバーチの霊訓に出会ってから10年以上経つので,霊訓の内容は「知識」としては持っていると思うのですが,それを使いこなせるだけの「理解」には至っていないのかなと思いました。

この「知識」と「理解」との間には,結構差があると思っています。

ちょっと話がずれますが,司法試験受験のときにも,この「知識」と「理解」というのは,自分の中で色々と考えたことがあります。

司法試験は,短答式試験(マーク式)と,論文式試験の両方があって,短答は知識の丸暗記でも対応できるのですが,論文は本当に理解していないと解けない内容になっています。

具体的には,論文試験では,毎年必ず,受験生のおそらく誰も考えたことのないような問題が出されて,その未知の問題に答えられるかどうかが,合否を分けることが多いです。

この未知の問題を解けるかどうかは,基本的知識をきちんと「理解」しているかどうかにかかっていて,司法試験を作成している偉い学者の先生も,「知識」ではなく,「理解」しているかどうかを見たいと言っていたのを覚えています。

基本的知識を単なる「知識」として暗記しているレベルだと,未知の問題には対応できないのですが,基本的知識をきちんと「理解」していれば,それを未知の問題にも応用できる,つまり使いこなせることができるので,自分が見たことのない問題でもその場で考えて,何とか答えを出すことができます。

どうやったら,基本的知識を「理解」するところまで持っていくかは,受験生の悩みの種なんですが,司法試験合格者の割と多くの人が,各科目の信頼できる基本書1冊を選んで,それをとにかく繰り返し読み込むのが重要と言っていました。

なので,私もそれに従って,基本書は手を広げずに1冊に絞り,それを何十回と反復して読み込みましたが,その繰り返しの作業のなかで,ようやくその科目の基本的知識が「理解」できたというレベルまでいったなあと実感しました。

1冊の本を何回も読むのは,本当にしんどいですし,飽きて辞めたくなるのですが,途中で他の本に手を出していたら,結局,「理解」するところまで行かずに,「知識」として持っているというレベルにとどまり,論文試験でも失敗していただろうなあと思います。

話を戻しますが,シルバーバーチの霊訓についても,もっと繰り返し読み込まないと,「理解」する段階まで到達せずに,日常生活で実践,応用することができないんじゃないかと思いました。

普段の生活では,人間関係,お金の問題,将来の不安などの世俗的な問題が次々と押し寄せてくるので,シルバーバーチが言っていることを「知識」として知っているというレベルでは,世俗の方に押し流されてしまうと思います。

そうならないためには,一番信頼できるシルバーバーチの霊訓に絞って,それを繰り返し読むことに集中した方がいいのかなと思います。

スピリチュアリズム関係の本は多くあって,シルバーバーチ以外でも,たとえば,アラン・カルデック,モーゼス,オーエンなど良書もあると思いますが,色んな本に手を出す前に,まずは,シルバーバーチの霊訓についての理解,そしてその実践を最優先にすべきだと思いました。

おそらく何回も繰り返し読んでいる途中で,初見のときのような感動はどんどん薄れて,他の本にも手を出したくなると思いますが,それをぐっと堪えて,とにかくシルバーバーチの霊訓を「理解」して実践することに集中しようかなと思います。

なので,司法試験のときに各科目の基本書1冊を何十回も読んだのと同じように,シルバーバーチの霊訓だけを基本書として,嫌になるぐらい何十回も読み込もうかなと思い至った次第です(^ ^)

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2016.07.16 11:00|思索
最近,喉が痛くて,少し風邪気味です(~_~;)

なんか,ビーガンになってから,風邪引くことが多くなったような気が・・・。

私の場合,コンビニ,外食だけで,自炊は一切しないので,ビーガンだと食べれるものの選択肢がかなり少なくて,いつも同じような食事になってしまい,栄養バランスが偏っている,というのはあるなあと思います。

なので,それが原因なのか,それとも,健康を維持するためには,肉とか魚をきちんと食べないといけないのか・・・。

そんなことを考えているとき,世界三大霊訓の1つであるアラン・カルデック『霊の書』で,以下のような記述があったことを思い出しました。

「人間の体質から申して,肉は肉体を養うに役立つ。これがないと,人間の体力は衰える。自己保存の法から申して,人間は自己の健康と体力を維持する義務がある。労働の法を実行するためにである。従って,人間は人体の要求に応じて食事をとるがよろしい。」(アラン・カルデック『霊の書(下)』52頁(潮文社))



これを読み返すと,やっぱり肉食べないと体力衰えてしまうので,肉を食べるべきなのではと思えてきます。

しかも,アラン・カルデックは,「動物の生命を奪うことについては,極端に神経質になる人がいますが,これは良いことですか。」という質問に対して,こんなことも言っています。

「その事自体は立派だが,余り神経質になり過ぎるのは,神経の乱用である。従って,その効果は差し引きゼロとなる。その気持は,真実の愛というより,迷信的恐怖の所産なのである。」(同書57頁)



効果は差し引きゼロということは,肉を控えたところで,霊的成長にとっては何のプラスにもならないということなんでしょうか・・・(>_<)

しかし,こういうアラン・カルデックの言葉は,シルバーバーチの霊訓と明らかに矛盾してます。

「私が常づね申し上げているのは,“殺害”の観念がつきまとう食糧品はなるべくなら摂取しない方がよいということです。殺すということは絶対にいけないことです。」(『シルバー・バーチの霊訓(八)』189頁(潮文社))



このように,肉食という点について,シルバーバーチの霊訓とアラン・カルデックの霊の書は明らかに異なっていると思いますが,この矛盾って何だろうと思い,スピリチュアリズム普及会さんのニューズレターを見てみました。すると,

「モーゼスの『霊訓』やカルデックの『霊の書』には,肉食についての言及はほとんど見られません。」(ニューズレター27号第1項)


と,なぜかスルーされています。。。

アラン・カルデックの『霊の書』では,確かに肉食に関する言及は少ないですが,上記のように肉食OKと明言しているので,「言及はほとんど見られません。」として触れない意味がよく分かりませんでした(~_~;)

上記のニューズレター27号では,シルバーバーチが,肉食や動物虐待に反対していることについて,

「実はそれによって、シルバーバーチの教えが『霊訓』や『霊の書』以上の高いレベルにあることが示されているのです。」


と記載されています。

アラン・カルデックの『霊の書』では肉食について言及せずに,シルバーバーチの霊訓では言及しているということであれば,シルバーバーチの霊訓が一歩進んでますねというのは言えると思うのですが,上記のとおり,アラン・カルデックの『霊の書』では肉食OKと言っていて,肉食について言及しています。

シルバーバーチの霊訓が高いレベルにあるというのはそのとおりだと思いますが,アラン・カルデックの『霊の書』も世界三大霊訓の1つとされていて,高級霊からの通信と一般的に評価されているので,単にレベルの違いであるということではなく,三大霊訓内で矛盾があると捉えるべきじゃないかなあと思えてきます。

上記のニューズレター27号では,

「高級霊からの優れた霊界通信には,内容的に多くの共通性がある一方で,それ独自の特徴・個性もあります。」


とも述べられていますが,肉食の肯定と否定とが「独自の特徴・個性」という評価でいいものかどうか。

このあたりをどう考えたらいいんだろうと思いますが,まだあまり詰めて考えていないので,次回以降にもうちょっと考えたいと思います(^ ^)

2016.05.17 00:45|思索

「あなたも私も,そしてこれに携わる人のすべてがそれぞれに役割分担を担っているスピリチュアリズムの全目的は,人類の魂を呼び醒まして一人でも多くの人間に本当の自分に気づかせること,自分とは一体なにか,誰なのかを知ることによって,ふだんの日常生活の中において霊の本性と属性を発揮することができるように導いてあげることです。」(『シルバー・バーチの霊訓(二)』196頁(潮文社))


何か最近,仕事をしていて,「スピリチュアリズムを知っていれば,こんな争いごとも起きないだろうな・・・。」とか,「スピリチュアリズムを知っていれば,彼もこんな犯罪を犯すこともなかっただろうな・・・。」とか思うことが多いです。

もっと視点を広くしても,戦争,貧困,動物虐待などなど,世界で起きているあらゆる不幸って,スピリチュアリズムを知らないことが原因なのではないかと。

結局,こういう問題の抜本的な解決ということを考えると,スピリチュアリズムの普及しかないんじゃないかなあと,最近あらためて思います。

世界中の皆が,スピリチュアリズムを知り,そして実践している世界って,お互いがお互いのために尽くし合う世界で,それって想像しただけで,笑顔に満ちてて平和な世界なんだろうなと思います。それこそ地上天国ですよね。

そういう世界の実現に一歩でも近づけるように,何か私なりに貢献できないかと思うところです。

いまは匿名でコソコソとブログをしていますが,将来的には実名でスピリチュアリズムの普及活動を本格的にやりたいなあという思いが最近強くなってきました。

おそらくそういう活動をしていくと,私の周りの弁護士や知り合いなども,私から離れていくんだろうということは予想できます(~_~;)

正直,周りの人たちが自分から離れていって孤立することが恐くないと言ったら嘘になりますが,シルバーバーチも言っているように,周りが何といおうと,世間から何といわれようと,自分の良心に従って,普及活動をしていけたらなあと思います。

「世間がどう言おうと,まわりの人が何と言おうと,自分で正しいと思うことをしなさい。その方が都合が良いとか得策だからではなく,心の奥でかくあるべきだと確信したこと,良心がそう命じていることを実行すればよいのです。」(『シルバー・バーチの霊訓(十二)』98頁(潮文社))



今後スピリチュアリズムを普及させるためには,まずもって自分がスピリチュアリズムをよく理解して,日常生活でも常に実践しないとですよね(^ ^)

あと,スピリチュアリズムを理解するためには,もっとスピリチュアリズム関係の本も読まないとと思います。

スピリチュアリズムは実践が第一ですが,スピリチュアリズムを全く知らない人に分かりやすく伝えていくということを考えると,普及する前提として,正しい理解というのが不可欠なんじゃないかなあと思います。

ですので,今後は仕事を通じて日々実践を心掛けるとともに,仕事の合間をぬってスピリチュアリズム関係の本を読み進めていこうと思っています(^ ^)

2016.01.03 00:23|思索
あけましておめでとうございます(^ ^)
今年もよろしくおねがいしますm(_ _)m

小学生ぐらいのときから,元旦に,その年の1年間の目標を立てて紙に書き出すよう父親から義務付けられていたため,いまだに私の中でその習慣が残っています(^ ^)

ざっくりとした目標としては,「1人でも多くの人の役に立つこと」なのですが,それを具体化するために,どうしていったらいいか。

「人の役に立つ」といっても,その手段は本当色々あるので,その動機さえ見失わなければ,あとは各自それぞれの自由な選択なんだろうなあと思います。

ただ,いくつかある選択肢のなかで,「どっちの道を選択したらいいんだろ(~_~;)」と悩むことはありますよね。

そういう場合の判断基準については,下記のシルバーバーチの言葉を参考にしています。

「決断を下さなければならない事態に立ち至った時は,それが特定の少数ではなく,全部の人,あるいはなるべく多くの人にとって益になることを動機として判断しなさい。」(『シルバー・バーチの霊訓(十二)』(潮文社)99頁)

  
これは,たとえば,A,Bという2つの進路(選択肢)がある場合,どっちを選べば,より多くの人の役に立てるかを判断基準とするということだと思います。

たとえば,(A)今の職場は社会貢献などとは無縁だが,このまま働き続ける方が安定しているので,家族(特定少数)のためには,転職しない方がいい,しかし,(B)転職した方が,社会貢献,より多くの人のお役に立てる仕事ができそう,という場合は,後者のBの選択肢を選ぶ,ということになるんじゃないかと思います。

あれこれと将来設計を考えるのは好きなので,自分の場合は,この1年でこれとこれをして,5年後までにはこうしてと,この正月に色々と考えてました(^ ^)

そして,自分が好きな曲である「カヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲」を聴き,気持ちを新たにして,モチベーション高めたところです(^ ^)

2015.05.05 03:23|思索
シルバーバーチは,人の役に立つことの重要性をしつこいぐらい繰り返し述べています。

「地上で学ぶべきことは人の役に立つということ,これに尽きます。」(『シルバー・バーチの霊訓(二)』(潮文社)(以下,単純に1巻,2巻などといいます。)92頁)

   

「私にとって宗教はたった一つしかありません-人のために自分を役立てるということです。」(3巻122頁)



「地上生活の総決算をする時がきたとき,つまり地上に別れを告げて霊の世界へと移られると,誰がするというものでもなく,自家作用によって,自分で自分を裁くことになります。そのときの判決の基準は地上で何を考えたかでもなく,何を信じたかでもありません。世の中のためにどれだけ自分を役立てたかということです。」(7巻87頁)



「私は,“十戒”ならぬ“一戒”しか持ち合わせておりません。“お互いがお互いのために尽くしあうべし”-これだけです。」(『シルバーバーチのスピリチュアル・メッセージ』(ハート出版)(以下,単に「メッセージ」といいます。)155頁)



「人のために役立つことをする-これが他のすべてのことに優先しなくてはなりません。」(『シルバーバーチ最後の啓示』(ハート出版)47頁)



人の役に立つということは,本当に単純な真理ですよね(^ ^)

人の役に立つことの重要性が理解できたら,それ以上複雑に考える必要はなく,あとはとにかく人の役に立つために,ひたすら実践すればいいんじゃないかなと思います。

シルバーバーチの霊訓の内容にいくら精通しても,いくら理解を深めたとしても,日常生活において人の役に立とうとしていなければ,つまり実践を伴っていなければ,何の意味もないと思います。

「私が説く宗教は実践の宗教です。1日1日の宗教-1日24時間,1時間60分,1分間60秒,そのすべてを実践の時とする宗教です。それが私の評価の基準です。」(3巻83頁,12巻219頁)



「日常生活において霊的真理の意義を生かした生き方をしていなければ,自分たちを『スピリチュアリスト』と呼んでみても何の意味もありません。大切なのは,自分たちはこういう者ですと名のることではなく,実生活において何をしているかです。」(『シルバーバーチのスピリチュアルな生き方Q&A』(ハート出版)(以下,単に「Q&A」といいます。)25頁)



「私は,魂をより意義のある生活へ誘ってくれるものでないかぎり,教義とか信条,ドグマといったものには関心がありません。日常の行い以外のものには関心を向けません。根本的に重要なのは,日常生活の生き方だからです。」(メッセージ94頁)



コナン・ドイルも,霊的真理を深追いするのではなく,実践が重要だみたいなことを言っています。

「死後の生活については以上の概略に止めておくのが無難であろう。細かいことになるとキリがない。いずれにせよ,われわれも遠からずそこへ行くのである。今すぐその全てを知ろうとするのは無駄な好奇心というべきである。」(『コナン・ドイルの心霊学』(潮文社)104頁)



「その体験によって見えざる世界の実在とこの世との連続性を確信したなら,それは心霊実験がもたらす唯一の,そして最大の恩恵にあずかったのであるから,その後は霊界からの啓示がもたらす教訓を現実の生活に生かすことに徹し,いつまでも心霊実験に関わり合っていてはいけない。」(同書190頁)



さらに,シルバーバーチは,霊的知識について,以下のように言っています。

「死後存続の事実は,知らないよりは知っていたほうがいいでしょう。が,最後の試金石は,どのような日常生活を送ったかということです。」(Q&A151頁)



「要はその人が生きてきた人生の中身,つまりどれだけ人のために尽くしたか,内部の神性をどれだけ発揮したかにかかっています。大切なのはそれだけです。知識は無いよりは有った方がましです。がその人の真の価値は毎日をどう生きてきたかに尽きます。」(4巻140頁)



シルバーバーチによれば,上記のように,死後存続という基本的真理についてすら,「知らないよりは知っていたほうがいい」というレベルですし,「知識は無いよりは有った方がまし」くらいの感じらしいです。

死後存続という基本的真理を知らなくても,人の役に立つために最善を尽くしていれば,それでいいということなのだと思います。

だとすれば,シルバーバーチの霊訓を一通り読んで,その内容に得心したのなら,ただ愚直に人の役に立つために邁進すればいいんじゃないかと思います。

このブログを始めた当初は,スピリチュアリズム関係の本をすべて読み込んで,ブログでどんどん紹介していこうかとか思っていました。

しかし,そういう本を読み込んでいる時間があるなら,その時間を人の役に立つための活動にあてた方が賢明な気がしてきました。

以前は,自分が霊的真理を今後普及していくうえでも,まずは自分自身がスピリチュアリズム関係の本を読み込んで,きちんと霊訓の内容を理解していなければならないと思っていました。

しかし,霊的真理を普及するうえでも,霊訓の内容を完璧に理解することに努めるより,まずは自分自身が身をもって,人の役に立つことを実践している必要があると思います。

「その真理を語るわれわれが成るほど神の使徒であることを証明するには,ひたすらに人の役に立つことをするしかありません。」(3巻38頁)



私は,シルバーバーチの霊訓の内容を全て理解しているわけではないし,その内容すべてに納得したわけでもありません。

しかし,少なくとも,死後にも魂は存続すること,現世では魂の向上のために人の役に立つことに最善を尽くすこと,という単純な真理については,得心しています。

だとすれば,シルバーバーチの霊訓のこの部分はどうやって解釈すればいいのかとか,この部分とこの部分は矛盾していないかとか,この部分はシルバーバーチの言っていることはおかしいから,シルバーバーチの言っていること全体も信用できないとか,そういうことをあれこれと考えること自体,あまり意味はないのではないかと思えてきます。

上記の単純な真理は,シルバーバーチだけが言っていることではなく,他の霊界通信などでも共通して言われていることですし,遠い昔から言われていた真理ではないかと思います。

「自分を愛する如く隣人を愛せよ。苦しむ者に手を差しのべよ。人生に疲れた人,潤いを求める者に真理を語って聞かせよ。病いの人を癒し,悲しみの人を慰め,不幸な人を訪ねてあげよ。こうした訓えは遠い昔から説かれてきた真実です。」(3巻66頁,メッセージ132頁)



ですので,シルバーバーチの霊訓の信用性とかを議論する意味はあまりなくて,上記の単純な真理を受け入れたのなら,既に実践の段階にきていて,あとはひたすら人の役に立つために最善を尽くせばいいのではと思います。

「自分に正直になり,最善を尽くす-それだけでいいのです。」(7巻90頁)



「力強く前進なさい。最善を尽くすことです。それ以上のものは人間に求められていません。」(11巻102頁)



長くなりましたが,人の役に立つことに最善を尽くすというシンプルな教えを日々実践していきたいと思っています(^ ^)


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spilaw

Author:spilaw
性別:男性
年齢:30代
職業:弁護士
座右の書:『シルバー・バーチの霊訓』

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