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2018.11.11 22:55|思索

「真理を知った者の勇気ある生き方を示すのです。かりそめにも“ごらんなさい。霊的真理を吹聴していた人間がこのざまですよ。”などと言われるようなことのないように心掛けてください。」(『シルバー・バーチの霊訓(七)』(潮文社)107頁)



先日,他の弁護士と話をしていたとき,何をライフワークにするか,自分の人生を捧げるべきテーマとか法律分野はという話題になりました。

その場ではまだ自分のライフワークは決まっていないなあという話をしましたが,やはり私としては,霊的真理の普及がライフワークだと思いました。

話が大きくなりますけど,世界には,戦争,貧困,犯罪,差別など挙げればきりがないほど色んな問題がありますが,それらを根本的に解決する手段は何かと考えたとき,霊的真理が普及すれば,そういう問題自体起きなくなるのではと思います。

お互いがお互いのために尽くしあう世界で,戦争や飢餓などは起こり得ないですよね。

そう考えると,一番重要なことは,霊的真理の普及だと思うのですが,じゃあどうやって自分が普及するのかと考えたとき,それはまず自分自身が霊的真理を実践することなしには,なし得ないのではないかと思いました。

「とにかく普及だ!」と意気込んで,周囲の人とかネット上などで普及活動をしたとしても,普及する自分自身が,日常生活で人の役に立つことをしていない,利己的な生活を送っている,ということだと,その普及活動自体,他人から見ると信用性が全くない気がするんですよね。

たとえば,極端ですが,派手な私生活を送り,自分が贅沢をするお金欲しさに依頼者から高額な報酬を取ることしか考えていない弁護士が,シルバーバーチの霊訓の素晴らしさをいくら並べ立てて話をしても,霊訓の内容以前に,そもそも当の本人が霊訓の内容を実践していないではないかという矛盾が明らかで,その弁護士から話を聞いた人が,感銘を受けて霊的真理に目覚めるなどということはないと思います。

ですので,霊的真理の内容面の素晴らしさを他人に伝えるということはもちろんなのですが,聞き手側からすれば,真理を伝えるその人自身の人格,日常の行いを見ていると思い,日常のなかでの霊的真理の実践なくして,普及もないのではないかと思います。

多大な自己犠牲を払い,自分のことなど考えずに他人のために尽くす伝道者の姿と霊的真理の素晴らしさが合わさることで,なるほどこれは真理だと得心するのではないかと思います。

その意味で,実践と普及は車の両輪で,どちらも欠くことができないものじゃないかなと思いました。

なので,私としても,霊的真理を世界に普及などという話をする前に,まずもって自分が霊的真理を実践し,霊的真理の素晴らしさを語っても恥ずかしくないレベルにならないといけないなあと思いました(^ ^)

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2018.10.08 22:52|仕事
先日,生活困窮者の法的支援に積極的に取り組んでいるベテランの弁護士と飲む機会があったのですが,その先生は,「儲かる仕事しかしない弁護士が大嫌い。私は儲からない仕事ばかり引き受けてきた。」という話をされていました。

その先生は,他の弁護士が受けたがらない案件を多数担当しているので,尊敬できる先生なのですが,「儲かる仕事は悪,儲からない仕事こそ善」という考え方にこだわっている気がして,若干の違和感を覚えました。

この違和感は何だろうと思い考えてみたところ,仕事への評価は,儲かるか儲からないかという経済的利益の問題ではなく,どれだけ依頼者のために自己を犠牲にしているかという「自己犠牲」の問題と,依頼者の役に立つためにという「動機」の問題かと思いました。

「我欲を棄て他人のために自分を犠牲にすればするほど内部の神性がより大きく発揮され,あなたの存在の目的を成就しはじめることになります。」(『シルバー・バーチの霊訓(一)』145頁(潮文社)


「求めるものが正しいか間違っているかは,単なる人間的用語の問題にすぎません。私たちからみて大切なのは“動機”です。いかなる要求をするにせよ,いかなる祈りをするにせよ,私たちが第一に考慮するのはその動機なのです。(『シルバー・バーチの霊訓(六)』P55(潮文社))



たとえば,報酬はほとんど期待できないと思われる案件で,しかし目の前の依頼者のために報酬は見込めなくても頑張ろうと思い,一切手を抜かず尽力した結果,思いがけず高額な報酬が得られるに至ったという場合とかはどうでしょうか。

この場合,結果的に儲かったということになりますが,最終的に経済的な利益が得られたからといって,仕事への評価が下がるということは当然ないはずで,人のためにという正しい動機のもとで自己犠牲を払っているのですから,素晴らしい善行だと思います。

ボランティアだったり報酬が少ない案件の方が,一般的に自己犠牲の程度は高いといえそうなので,結論的には,「儲からない仕事が善」という場合が多いのかもしれませんが,評価の基準は,報酬面ではないなと思ったところでした。

ですので,結果的にうまくいって報酬が高額になる場合でも,そこは躊躇せずに報酬は有難く頂戴する所存です(これを正当化するための理由付けを考えていたわけではないですが(^ ^)

2018.09.07 23:32|仕事
ある窃盗事件の被疑者の弁護人になっていたのですが,先日,無事本人は釈放され,刑事処分はなしで解決となりました。

その被疑者は,住む場所が無くなり,路上生活を続けた末,コンビニで万引きして逮捕されたというケースでした。

一般的に窃盗事件とかですと,弁護人としては,被害者と交渉をして示談をまとめて,不起訴を狙うという弁護活動をするのですが,こういう被疑者の場合は,そもそも示談金が準備できないので,被害弁償自体,そもそも難しいんですよね。

しかも,仮に本人が釈放されても,その後の生活はどうするのかという問題もありますし,何も手当をせずに釈放されても,また万引きをして,という繰り返しになり,そのうち実刑判決で刑務所に服役,出所したところで社会復帰は難しく,また罪を犯すという負のサイクルが続いてしまいます。。。

なので,こういうケースで弁護人としてどこまで環境調整できるかというのがすごく重要になってくるのですが,逮捕されてから検察官が処分を決めるまでが最大23日間というのが法律で決まっていますので,3週間ちょっとの間で,被疑者が釈放された後の生活基盤の確保をしないといけないという意味で,時間的にかなりタイトなんですよね(>_<)

今回のケースでは,被疑者の前科・前歴からいって,被害者と示談できなくても,起訴はされないと思っていたので,被疑者が釈放された後の生活基盤をどうするかというのがまさに問題になりました。

被疑者本人は,大学卒業後に,引きこもり生活をずっと続けてきた方で,就労経験もなかったので,釈放されたとしても,すぐに仕事をすることは困難でした。

しかも,家族からも見放され,親族からの支援も得られず,住む場所も見つからないという状況でした。

私から本人の両親にも連絡を取ったりしたのですが,「もう縁を切ったので,関わりたくない。もう電話もしてこないで欲しい。」と言われました(~_~;)

そこで,被疑者には生活保護の受給と,入所できる施設が必要だと思い,釈放前から,生活保護受給者が入所できる施設を探し回った結果,すぐに入れる施設をようやく見つけることができました。

そして,被疑者が釈放された段階で,勾留されていた警察署まで本人を迎えに行って,そのまま車で福祉事務所まで一緒に行って生活保護の申請をしました。

こういう場合,被疑者一人で申請に行っても,生活保護の担当者から,「まだ若いから働ける。」とか言われて,追い返されたりするケースも少なくないので,一緒に行くことが必要になってきます。

申請は無事終了し,事前に連絡していた施設のスタッフの方が来てくれたので,そのスタッフの方が本人を施設に連れて帰るだけとなりました。

私としては,生活保護も受給できることになり,経済的基盤もできたし,入れる施設も見つかって住む場所も確保できて,ようやくホッとしたというところでした。

そして,施設の方と被疑者に挨拶をして帰ろうと思ったところ,被疑者から,「先生は今後は関わってくれないんですか。」と言われました。

その場では,「何かあれば私の事務所までいつでも連絡してくださいね。」といったことを伝えたのですが,被疑者としては,今後も継続してサポートして欲しかったのだろうなと思いました。

最後の被疑者の悲しげな表情を思い返すと,最後の別れ際は若干冷たかったなと思ったりしましたが,正直,刑事事件の弁護人としてできる範囲はここまでかなとも思いました。

被疑者が釈放された段階で,国選弁護人としての立場ではなくなりますので,被疑者の弁護人でも代理人でもなく,被疑者に関して何も権限を持たないということになります。

被疑者としては,今後の仕事のこととか,施設暮らしではなくアパート暮らしにとか色々と考えるべき点はあると思うのですが,そこはやはり福祉的な支援になってくるのかなと思います。

しかも,あまり本人のために何でもかんでもやってあげると,本人が依存しきってしまい,自分自身の力で動いたり判断したりということが出来なくなったりもします。

あとは,現実的に,私としても他に色々と事件を抱えているなかで,一人の被疑者に寄り添える時間というのは正直限られているという面もあります。

弁護士としての立場でより多くの人の役に立つということを考えると,今回の引き際は間違いではなかったのではないかなと思ったりしますが,もう少し福祉機関への橋渡しも出来たのではないかという面もあり,なかなか悩ましいところだなと思いました。

2018.08.19 21:31|音楽

「音楽,なかんずくインスピレーション的な曲は,あなた自身はごく自然な形で作曲しているつもりでも,魂を癒やし慰め刺激し鼓舞する特質を具えるものです。それはそれなりに魂の琴線に触れて,五感を通じて得られるものよりはるかに偉大な生命の荘厳さがあることを認識させます。」(『シルバー・バーチの霊訓(十)』104頁(潮文社))


最近も何かと忙しくて休めていなかったため,たまには仕事を早く切り上げてジャズのライブでも行って,英気を養おうと思い,新宿ピットインへ行ってきました(^ ^)

新宿ピットインは老舗のジャズのライブハウスですね。

ライブの予約をしたのが割と直前だったのと,金曜の夜ということもあり,店に問い合わせをしたときは,「立ち見になるかもしれませんが,それでもいいですか」と言われましたが,もう行く気満々になっていたので,立ち見覚悟で行くことに。

新宿ピットインの場所は,新宿三丁目駅のすぐ近く,新宿駅からは歩いて徒歩10分くらいです。

地上入り口はこんな感じです。

地上入り口


地下1階にあるのですが,階段を下っていくと,こんな感じです。

地下入り口

私が到着したのは開場時間の19時30分ぎりぎりぐらいだったので,入り口前には既に多くの人が来ていました。

お客さんの年齢層でいうと,20,30代は少なくて,40代以上が多いのではないかという印象を受けました。平日の夜ということもあり,会社帰りのサラリーマン風の方々もいました(私もそうですが)。

新宿ピットインはドレスコードとかないですし,着飾る必要もないので,気軽に入れる感じですね(^ ^)

予約した順番で名前を呼ばれるので,呼ばれたらこちらの入り口から入っていきます。

店入り口

入ってすぐのところで,まずレジで支払いをすることになります。1ドリンク付きで3,500円だったので,ブルーノートとか高級路線のライブハウスと違って,値段的にもリーズナブルですね(^ ^)

会計をすまして中に入ると,カウンターで飲み物の注文をして,受け取ってから席につく流れです。

テーブル席が並んでいるわけではなく,全席ステージの方を向いているので,音楽を聴くことに専念できる感じがいいですね(^ ^)

この日は全曲マイルス・デイヴィスの曲で,知っている曲も多く,とても楽しめました(^ ^)

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やっぱ生演奏って家で聞いているのとは全く違って迫力がありますし,ジャズは楽譜通りに演奏するというわけではなく,その場の即興でアレンジして楽しむというところがあるので,その場の雰囲気というか盛り上がりを体感できるのが,素晴らしいと思いました(^ ^)

結局,ライブが終わったのが23時過ぎでしたが,本当にあっという間で,もっと聞いていたかったなと思いましたし,音楽,ジャズの素晴らしさを再認識できたライブでした(^ ^)

2018.07.14 00:34|仕事
先日,認知症が進んで判断能力がほとんど無くなってしまった高齢の男性の後見人に選任されました。

後見人になった経験はあまり多くないので,不安になりつつも,とりあえずご本人と面会しようということで,ご本人が入所している施設まで面会に行ってきました。

しかし,ご本人は,要介護5で寝たきりの状態ということもあり,私が声掛けをしても全く反応はありませんでした(~_~;)

こういう場合に,本人のために何ができるか,本人の役に立つというのは,どういうことなんだろうと考えたりしますが,なかなか悩ましいですね(~_~;)

後見人になると,本人に代わって決定していく権限を持つので,本人の財産管理,たとえば預貯金からお金を引き出したりすることもできますし,病院の転院とか入所施設の変更なども後見人の判断で出来てしまいます。

ですので,本人がどのような日常生活を送るかということは,後見人の判断で決めることができるのですが,そういった権限を持っている反面として,やはり責任は重いなあと思います。

しかも,本人の家族でもなく,私のような見ず知らずの他人である弁護士が後見人になって,その後見人の勝手な判断で,ご自身のことを色々と決められてしまったら,本人はどう思うのだろうと感じました。

本人に判断能力が無くなってしまったとしても,やはり本人の意思というのは可能な限り尊重されるべきだなあと思いました。

もちろん現時点では,本人の意思確認というのは難しいですが,「もしご本人に判断能力があれば,こういう判断をするのではないかな」と推測していく努力はできると思います。

後見人自身の価値観,人生観を押し付けるのではなく,本人になりきって考えてみて判断するということが,本人の望むことではないかと思いました。

そのためには,本人の人生を振り返ってみて,どういう生活を送ってきたのか,どういう人柄,性格だったのか,ということを家族等から聞き取ったり,日常的に接している施設の方々の話を聞いてみたりして,本人のことをまずよく知ることじゃないかと思います。

本人の意思確認が現状できない以上は,答えのない問題ではありますが,「これが本人が望んでいることではないか」と確信できるところまで,ひたすら本人の立場にたって考え抜く,ということが,後見人として人の役に立つことではないかと思いました。

判断能力が低下した方を支援する場合,本人の考えは無きものとして,支援者の考えが中心になりがちですが,本人の意思の尊重という視点は,忘れずに持っていたいなと思った次第です。

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Author:spilaw
性別:男性
年齢:30代
職業:弁護士
座右の書:『シルバー・バーチの霊訓』

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